文台城跡(読み)ぶんだいじようあと

日本歴史地名大系 「文台城跡」の解説

文台城跡
ぶんだいじようあと

[現在地名]丹原町志川

志古しこ川が中山なかやま川に流入する付近の小高い山上にある。剣山つるぎやま城主黒川氏の要害城であった。

「伊予国周布郡地誌」に「村ノ坤位七町三拾間ニアリ、其墟三壇アリ、上壇東西拾八間、南北四間、中壇東西拾八間、南北四間、下壇東西二拾間、南北二間」と記される。「河野家譜」には「治承四年七月廿三日又集敗軍籠赤岳城鞍背山氏族家人等文台志川村大熊鞍背村等牙城予州進兵攻文台大熊之」とあり、河野通清が平家方の目代を攻め破ったことが記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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