文殊寺跡(読み)もんじゆじあと

日本歴史地名大系 「文殊寺跡」の解説

文殊寺跡
もんじゆじあと

[現在地名]酒々井町本佐倉

五良ごりようにあった真言宗寺院。愛宕山と号し、本尊は十一面観音。「佐倉風土記」は大蛇おおじや(現佐倉市)にあるとするが誤りで、安政三年(一八五六)の文殊寺書上帳(吉祥寺文書)にあるように、山城醍醐寺三宝さんぼう院末として本佐倉村五良に位置し、同村の鎮守愛宕神社の別当であった。「佐倉風土記」によれば、千葉氏家臣原胤安祖母妙孝定尼寄進の天文一四年(一五四五)三月二〇日在銘の仏龕と大檀那平胤富寄進の同一六年一〇月一六日在銘の木造華鬘があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 末寺 境内 吉祥

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む