酒々井町(読み)しゆすいまち

日本歴史地名大系 「酒々井町」の解説

酒々井町
しゆすいまち

[現在地名]酒々井町酒々井・中央台

酒々井村内の台地中央、成田道に沿う。江戸時代に町方まちかた、酒々井町駅場とも称された宿場。郷帳類では酒々井村のうち。「佐倉風土記」によれば当町は本佐倉もとさくら町、町・しん町・弥勒みろく町・もと(現佐倉市)とともに佐倉六町といわれ、安政五年(一八五八)の「成田名所図会」によれば酒々井駅から本佐倉町、佐倉・角来かくらい(現佐倉市)を経て臼井うすい(現同上)まで一里二八町、中川なかがわ村・上岩橋かみいわはし村・伊篠いじの村、成木なりき新田(現成田市)を経て寺台てらだい(現同上)までは二里八町。酒々井四町と呼称される町割は南から北へ上宿かみじゆく仲宿なかじゆく・下宿・よこ町と並ぶ。

天和三年(一六八三)の佐倉御城之記(佐倉史談付録)に「天正十九辛卯年酒々井町建ツ、御入国始テ御取立ノ町ニ候故、□□候様ニ可仕旨、両御所様ヨリ大久保十兵衛エ被仰付、酒々井町柴田大隅其外年寄共ニ被下候証文状有之」とあり、酒々井村内に酒々井町が成立したのは天正一九年(一五九一)と伝える。「甲寅紀行」には「此の村は東照宮始めて取立て給ふ町なりと云ふ、末々までも繁昌すべき由を権臣に命じて、文状を下し賜ふ、文字には酒々井と書き、仮名にはすゝゐとあるなり」とみえる。


酒々井町
しすいまち

面積:一九・〇二平方キロ

印旛沼の南岸に位置し、北は成田市、東は富里とみさと町・八街やちまた市、南は八街市、西は佐倉市・印旛村。町域は台地と樹枝状の谷津田と称される低地からなり、比較的平坦である。河川には町域南部の高崎たかさき川、東部の(伊篠川)、中央部のなか川があり、いずれも印旛沼に流入する。JRは町域中央部を南西から北東に走る成田線の酒々井駅、南西から南東に走る総武本線の南酒々井駅がある。京成電鉄は町域北部を南西から北東に走り、京成酒々井駅と宗吾参道そうごさんどう駅がある。道路は国道五一号と国道二九六号が町域中央部を通り、佐倉方面と富里・成田方面とを結ぶ。ほかに成東なるとう印西いんざい線、富里―酒々井線、宗吾―酒々井線も主要な動脈として交通量が多い。町域南部には東関東自動車道も通り、すみに酒々井パーキングエリアがある。

台地上には各時代の遺跡が分布し、伊篠いじのには縄文時代後期から平安時代までの伊篠白幡いじのしらはた遺跡がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「酒々井町」の意味・わかりやすい解説

酒々井〔町〕
しすい

千葉県北部,印旛沼南東岸の下総台地にある町。 1889年町制。地名孝行息子が酒の湧く井戸を発見したという伝説に由来。中心地区の酒々井は中世平将門が築いた根古屋集落に始り,近世初期,土井氏の佐倉築城後は成田街道に沿う宿場町として発達。町域の大部分は下総台地上にあり,ラッカセイ・野菜栽培が盛んで,県下有数の清酒醸造工場がある。成田市と佐倉市の中間にあって,内陸工業地,住宅地の造成が急速に進展。 JR総武本線,成田線,京成電鉄,国道 51号線,296号線,東関東自動車道が通る。面積 19.01km2。人口 2万0745(2020)。

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