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東京都港区北東部,芝公園の北に続く洪積層の小丘。標高26m。武蔵野台地の東端部が分離して,南北約500mにわたって島状に残ったもの。江戸時代には月見や雪見の名所とされていた記録もあり,1897年の《新撰東京名所図会》では東京一の眺めと記されている。山上に1603年(慶長8)に京都の愛宕神社を勧請した愛宕神社がまつられ,東側社前の急斜面には男坂,女坂がある。86段ある男坂の石段は,講談《寛永三馬術》の曲垣(まがき)平九郎の話で名高く,社前に曲垣平九郎手折りの梅もあるが,神社には平九郎に関する記録は残っていない。
京都市右京区北西部にある山。標高924m。古生層からなり,周囲の標高500~600mの山地の面の上に突出している。山城国と丹波国との国境に位置し,山頂の愛宕神社は全国的な信仰圏をもっている火難よけの神の総本社。現在,8月1日の千日詣,11月の亥猪祭などがにぎわうが,かつて山上の行事であった柱松明は山下の嵯峨清凉寺で行われている。南東麓の清滝は愛宕神社の鳥居前町として起こり,いまは紅葉の名所として有名。
落語。上方落語で,3代目三遊亭円馬が東京へ移した。芸者や幇間を連れた旦那が,京都の愛宕山でかわらけ投げに興じたのちに小判を谷底へ投げ,拾った者にくれるというので,幇間一八(いつぱち)が番傘につかまって谷底へおりて小判を拾い,羽織や着物を裂いて縄にして竹に結び,その弾力で飛びあがった。旦那が〈金は?〉と聞くと,〈あっ忘れて来た〉。落ちは拍子落ち。早春の京都の風景を背景とした佳編。【興津 要】
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東京都港区の芝公園北側にある洪積台地。標高 26m。山上の愛宕神社前にある男坂の石段は,寛永 11 (1634) 年曲垣平九郎 (まがきへいくろう) が乗馬のまま昇降し,手折った梅花を3代将軍徳川家光に献上したとして知られる (講談「寛永三馬術」などに脚色) 。 1925年この地に社団法人日本放送所 (日本放送協会の前身) が設けられ,ラジオ放送の発祥地であった。現在,NHK放送文化研究所および放送博物館がおかれている。
京都市西部,山城と丹波の境にある山。朝日岳ともいう。標高 924m。古生層の岩石からなり,山頂は浸食から残った残丘。別称朝日岳は京都を囲む山のうちで最も早く朝日に照らされることに由来。山上には愛宕神社があり,昔から火伏 (ひぶせ) の神として参詣者が多い。山腹には月輪寺のほか,空也滝,寒蝉滝などがある。南東の山麓を流れる清滝川は峡谷美に富みゲンジボタルおよびその生息地 (国指定天然記念物) となっている。
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
[一] 京都市右京区北西部の山。比叡
(ひえい)山と東西相対してそびえる。山頂に愛宕神社(一)がある。標高九二四メートル。あたごさん。白雲
(はくうん)山。
[二] 東京都港区芝公園北方の小丘。山頂に愛宕神社(四)がある。男坂の石段は曲垣(まがき)平九郎の馬術で有名。大正一四年(一九二五)、日本最初の放送局である日本放送協会(NHK)東京放送局が設置された。標高二六メートル。
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世界大百科事典内の愛宕山の言及
【愛宕信仰】より
…京都愛宕山にまつられている愛宕神社を中心とする信仰。火伏せの信仰が中心である。…
※「愛宕山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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