文知町(読み)ぶんちまち

日本歴史地名大系 「文知町」の解説

文知町
ぶんちまち

[現在地名]長崎市万才町まんざいまち江戸町えどまち

外浦ほかうら町の北西中島なかしま川河口の右岸にある長崎うち町の一ヵ町で、陸手に属した。分知町とも記される。元亀二年(一五七一)大村純忠により町割が行われた六ヵ町の一つで、外浦(西彼杵半島南西部)からの来住者が多かったというが、町内の文知にちなむ町名ともいう。天正八年(一五八〇)四月イエズス会に寄進されて同会領となり、同一六年豊臣秀吉の直轄領とされ、地子銀が免除された。一六一四年(慶長一九年)イエズス会の聖体行列が島原しまばら町より分知町Bunchi machiに向かい、サン・ペドロ天主堂の前の広場に出て外浦町に入っている(アビラ・ヒロン「日本王国記」)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

梅雨の季節に入ること。つゆ入り。毎年6月中旬~7月中旬の約1ヵ月間,九州から東北地方は梅雨の季節に入る。これは,北方のオホーツク海高気圧と南方の小笠原高気圧とに挟まれて,揚子江流域から九州,四国,本州...

入梅の用語解説を読む