斎内村(読み)さいないむら

日本歴史地名大系 「斎内村」の解説

斎内村
さいないむら

[現在地名]太田町斎内

斉内さいない川扇状地扇央部にあり、川の南にある。

天正一八年(一五九〇)の出羽国仙北之内北浦郡御検地目録帳(戸沢文書)に才内村とあり、上田は二三町一段二畝、中田八町五段一畝、合計三一町六段三畝でこの分米三六二石五斗四升、上畑四町六段二畝で、計四〇八石七斗四升とある。石高から考え、藩政期の斎内村のほか数ヵ村を含む村域と思われる。

正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に二九六石とある。享保一四年(一七二九)の黒印高帳(秋田県庁蔵)に当高八三〇石二斗八升とあり、うち本田当高三六六石余、本田並当高五八石余、新田当高四〇五石余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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