中城村(読み)なかぐすくそん

日本歴史地名大系 「中城村」の解説

中城村
なかぐすくそん

面積:一五・四六平方キロ

沖縄島中部東側にある。東は中城なかぐすく湾に面する。北は北中城きたなかぐすく村、西は宜野湾ぎのわん市、南は西原にしはら町に接する。村域は南北約七・五キロ、東西約三・五キロの長方形をなす。西側を標高一〇〇―一八〇メートルの丘陵・高台が連なり、でーグスク中城なかぐすくグスク・新垣あらかきグスクがあり、北から登又のぼりまた新垣あらかき北上原きたうえばる南上原みなみうえばるの各地区が並ぶ。西端近くを普天間ふていま(ふてんま)川が北東へ流れる。丘陵から東側の斜面部には東部の久場くばから伊集いじゆに至る各集落の一部、中城湾沿いの標高一〇メートル以下の低平地には久場から伊集に至る各集落の大部分があり、当村で最も人口が集中する。中城村は基本的に琉球石灰岩の大きな分布は見られず、丘陵部は島尻層群の泥岩(クチャ)からなり、低地はそのクチャの風化土であるジャーガル土で覆われている。低地部を各集落をつなぐように国道三二九号が南西から北東に通り、西方丘陵部を主要地方道沖縄―北中城線、村西端近くを沖縄自動車道が南西から北東に通る。貝塚時代中期の土器が出土する登又のぼりまた遺跡(旗立遺跡)などを除けば、当村の遺跡の大半がグスク時代から近世あるいは近代に位置付けられるのが特徴である。


中城村
なかじようむら

[現在地名]日田市中城町・城町しろまち一丁目・淡窓たんそう一丁目・港町みなとまち南豆田みなみまめだ豆田町まめだまちまる内町うちまち

城内じようない村の南西方、花月かげつ川左岸にある。府内・日田往還が通る。元和二年(一六一六)村の東部に永山ながやま城の城下町として豆田町が営まれた。慶長七年(一六〇二)の日田郡・玖珠郡御預米帳(佐伯藩政史料)に中城村平内とあり、米四四石余。平内は有力百姓とみられる。正保郷帳では田高一九四石余・畑高五七石余で、夜開やけ郷に属した。


中城村
なかんじようむら

[現在地名]大和郡山市中城なかじよう

番条ばんじよう村の東方に接続。環濠集落。旧中庄に相当する。慶長郷帳では「中条村」ともみえる。村高三五四・七七石。近世を通じて春日神社領であった。文禄検地奉行は増田長盛。寛文一〇年(一六七〇)の村絵図裏書覚(中城区有文書)によると家数二一。延宝五年(一六七七)七月二六日、揚水場字青蓮坊毘沙門しようれんぼうびしやもんの辻合へ番条村の人数一〇〇人あまりが「一揆の躰」で罷越し、せき留め毘沙門川へ水をかえし、盗水した狼藉ぶりを訴えている(「乍恐謹言上」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中城村」の意味・わかりやすい解説

中城〔村〕
なかぐすく

沖縄県沖縄島の南東部にあり,中城湾に臨む村。1908年村制。1946年北中城村を分離して現村域となる。村名は近世以来の間切(まぎり。行政区画)名による。琉球王朝時代,首里王府直轄領であった。中城湾岸の細長い低地ではサトウキビ,キクを栽培。海岸に石油精製所がある。尚泰久王時代(1454~60)の按司護佐丸が築城したと伝えられる中城城跡(国指定史跡)は中城公園として整備されており,2000年世界遺産文化遺産に登録。沖縄自動車道と国道329号線が通る。面積 15.53km2。人口 2万2157(2020)。

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