20世紀日本人名事典 「斎藤唯信」の解説
斎藤 唯信
サイトウ ユイシン
明治〜昭和期の仏教学者,僧呂(真宗大谷派)
- 生年
- 元治1年12月18日(1865年)
- 没年
- 昭和32(1957)年12月22日
- 出生地
- 新潟市関屋町
- 別名
- 号=不老仙
- 学歴〔年〕
- 真宗大学寮(高倉学寮)卒
- 学位〔年〕
- 文学博士〔大正15年〕
- 経歴
- 大学寮で宗乗 因明学、天台学、華厳学などを修め、明治22年上京、英語を学び、23年東京大谷教校副校長、同年9月哲学館講師、27年大谷教校長、28年真宗東京中学主幹兼教授。31年浄土宗高等学院教授、34年真宗大学教授となり、大正3年までに曹洞宗大学、東洋大学、豊山大学、宗教大学の各教授。同年京都の大谷大学教授に転じ、4年京都帝大文学部講師、12年大谷大学教授兼真宗大谷大教授として仏教概論を講じた。昭和5年大谷大名誉教授。一方明治18年念仏寺住職、大谷派本山の宗学院開設を指導、大正7年講師の学階を受け安居の本講を務めた。著書に「仏教学概論」「仏教論理」「阿弥陀経講義」「選択集講義」「華厳学講要」「真宗の信仰と其教義」「浄土教史」「教行信証御自釈講要」「他力信仰の極地」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報