斎藤藤四郎(読み)サイトウ トウシロウ

20世紀日本人名事典 「斎藤藤四郎」の解説

斎藤 藤四郎
サイトウ トウシロウ

明治〜昭和期の実業家 衆院議員(政友会)。



生年
明治19(1886)年10月22日

没年
昭和10(1935)年6月1日

出生地
栃木県塩谷郡大宮村(現・塩谷町)

経歴
16歳の時宇都宮、東京にて肥料商の丁稚奉公店員となる。のち大阪に出て、明治45年大阪化学肥料、大正3年日本化学肥料採取権を獲得し大阪グアノ会社社長、次いで大阪硫曹を創設し、数社の重役を兼務する。13年栃木県より衆議院議員に出馬し、当選2回。特に肥料管理法案の通過に尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「斎藤藤四郎」の解説

斎藤 藤四郎
サイトウ トウシロウ


肩書
衆院議員(政友会)

生年月日
明治19年10月22日

出生地
栃木県塩谷郡大宮村(現・塩谷町)

経歴
日本化学肥料取締役、人造肥料連合会幹事などを歴任。大正13年衆議院議員、当選2回。

没年月日
昭和10年6月1日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斎藤藤四郎」の解説

斎藤藤四郎 さいとう-とうしろう

1886-1935 明治-昭和時代前期の経営者,政治家
明治19年10月22日生まれ。大阪化学肥料,帝国人造肥料,日本化学肥料の取締役をつとめ,人造肥料連合会幹事となった。大正13年衆議院議員(当選2回,政友会)。昭和10年6月1日死去。50歳。栃木県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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