栃木県の中央部にある県庁所在地で、政治、経済、文化の中心地。1896年(明治29)市制施行。1954年(昭和29)平石(ひらいし)、清原(きよはら)、横川、瑞穂野(みずほの)、城山(しろやま)、国本(くにもと)、富屋(とみや)、豊郷(とよさと)、篠井(しのい)(一部)の各村、1955年雀宮(すずめのみや)町、姿川(すがたがわ)村を、2007年(平成19)河内(かわち)郡上河内町(かみかわちまち)、河内町(かわちまち)を編入。工業化とともに人口が増加し、人口51万8757(2020)は北関東諸都市のなかで最多である。1996年(平成8)中核市に移行。市域は鬼怒(きぬ)川東岸の真岡(もおか)台地から鬼怒川沿岸低地、田川を挟んで宇都宮東、西台地にわたり、北部に宇都宮丘陵や古賀志(こがし)山地がある。内陸のため気温の変化が大きく、冬の冷え込みは北関東の県庁所在地のなかでもっとも厳しい。面積416.85平方キロメートル。
[奥田 久]
宇都宮丘陵南端にある下野国(しもつけのくに)一宮(いちのみや)の二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)の別号宇都宮(または宇津宮)から地名が生まれたという。『和名抄(わみょうしょう)』に池辺郷(いけのべのごう)と記され、奥州への街道が通じると小田橋(こたばし)駅ともよばれた。11世紀ごろ藤原宗円(そうえん)(?~1111)が宇都宮氏を名のり、市街の基礎をつくった。1597年(慶長2)宇都宮氏没落後、蒲生秀行(がもうひでゆき)(1583―1612)が市街を二荒山神社前の広馬場の西に広げ、1619年(元和5)ごろ本多正純(まさずみ)が街道を東部の下(した)町から西部の上(うわ)町に移すなど、城下町経営に努力した。日光東照宮が創建されたのち、日光、奥州両街道の分岐点の宿場町、市場町になった。1868年(明治1)戊辰(ぼしん)戦争で市街の大半は焼失した。1884年栃木県庁が栃木から移され、1907年第一四師団司令部が置かれ、政治・軍事都市になった。1945年(昭和20)戦災を受けたが復興は早かった。広馬場の南に釣天井(つりてんじょう)の伝説で有名な宇都宮城の本丸跡がある。
[奥田 久]
耕地は水田が多く、米、野菜、畜産中心の営農がみられ、ナシ、イチゴも栽培される。市の東部のトマト栽培の施設園芸も特色で、今里のユズは特産として知られ、北部ではリンゴも栽培される。農林業体験施設「ろまんちっく村」がつくられている。姿川沿岸の西部の丘陵は凝灰岩からなり、大谷石(おおやいし)として採掘されるが、出荷量は年々減少している。第二次世界大戦中に東郊や南郊に近代工業が立地し、1960年(昭和35)以後に宇都宮東台地や真岡台地に全国屈指の内陸工業団地がつくられ、電気機器、機械器具、金属製品、たばこなどが製造され、県内有数の製造品出荷額をあげた。
さらに1984年(昭和59)に宇都宮市、真岡市、芳賀町、高根沢町がテクノポリスに制定されると、先端技術産業の集積が促進され、新しい街づくりが進められた。周辺には学術・研究施設が設置され、産・官・学が一体となった共同研究、技術交流も行われている。
[奥田 久]
国道は、4号、119号、121号、123号、293号、408号などが放射状に通じ、西部に東北自動車道や日光宇都宮道路、南部に北関東自動車道も通じる。一方、1885年(明治18)JR東北本線が通じ、宇都宮駅で日本最初ともいわれる駅弁が販売され、5年後に日光線を分岐し、1931年(昭和6)東武鉄道宇都宮線が通じた。また、東北新幹線も1982年に開通した。
[奥田 久]
西部の大谷(おおや)には、特別史跡・国指定重要文化財の大谷磨崖仏(まがいぶつ)があり、また近くには大谷平和観音や、大谷石利用の歴史や採掘法の変遷を展示する大谷資料館もある。付近一帯は宇都宮県立自然公園。市街には、二荒山神社を中心に北に八幡山(はちまんやま)公園があり、蒲生君平(くんぺい)を祀(まつ)る蒲生神社が公園南入口にある。また、国指定重要文化財の鉄塔婆(てっとうば)を有する清巌寺(せいがんじ)や、銅造阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)のある一向寺(いっこうじ)がある。市街の西方にある根古谷台(ねごやだい)遺跡は国の史跡で、出土品の一部は重要文化財に指定され、周囲は「うつのみや遺跡の広場」となっている。江戸時代に鬼怒川の河岸があった下岡本の岡本家住宅は国指定重要文化財。文化施設には、県立美術館、県立博物館、県立図書館などがあり、宇都宮大学もある。1989年(平成1)には帝京大学理工学部と作新学院大学が、1999年には文星芸術大学、2006年には宇都宮共和大学シティライフ学部がそれぞれ開学した。1997年には芸術・文化活動の拠点として「うつのみや文化の森」と宇都宮美術館が開設された。なお、最近では餃子(ギョウザ)の町としても知られる。
[奥田 久]
『『宇都宮市六十年誌』(1960・宇都宮市)』▽『徳田浩淳著『宇都宮の歴史』(1969・下野史料保存会)』▽『『宇都宮市史』全9巻(1979~1983・宇都宮市)』
栃木県中部にある県庁所在都市。2007年3月旧宇都宮市が上河内(かみかわち),河内(かわち)の2町を編入して成立した。人口5万1739(2010)。
宇都宮市中南部から北西部にかけての旧市で,県庁所在都市。1896年市制。人口45万7673(2005)。市域は鬼怒川東岸から田川沿岸をへて,宇都宮台地に及び,北部に宇都宮丘陵がある。中心市街は古くは《和名抄》記載の池辺郷の地とされ,中世には宇都宮氏の拠点となった。近世には日光・奥州両道中の分岐点にある城下町,宿駅,市場町となり,南の雀宮も日光道中の宿駅で,鬼怒川沿岸には河港が開かれた。宇都宮台地や鬼怒川西岸には,新田集落がある。1871年に宇都宮県庁,84年に栃木県庁が置かれ,85年以降今の東北本線や日光線,1931年に東武宇都宮線が開通した。第2次世界大戦中に市街周縁に近代工業が立地し,戦後に市街の東に宇都宮・清原の両工業団地が置かれ,工業化が進んだ。国道4号,119号,123号,293号線などの道路が放射状に走り,72年以降東北自動車道や日光宇都宮道路などの有料道路,82年に東北新幹線も通じ,小売商圏は県中央部を主としている。上三川町との境に北関東自動車道のインターチェンジがある。宇都宮大学などの大学,県立の図書館,美術館,博物館,総合運動場があり,県の政治,経済,交通,文化の中心をなしている。市域の農業は米,野菜,畜産を主とする。工業は1984年指定のテクノポリスの主要部,清原工業団地を中心に電気機械,一般機械,食料品,精密機械などが盛んで,県内1位,県の約2割の製造品出荷額(1995)をあげている。市街の西の大谷は土木・建築用の軟質石灰の大谷石(緑色凝灰岩)の産地で,国指定の特別史跡・重要文化財の大谷磨崖仏,大谷寺岩陰遺跡などが存在する宇都宮県立自然公園がある。
執筆者:奥田 久
下野国の城下町で徳川譜代の有力大名が配置された北関東の要地。日光道中と奥州道中が分岐する宿駅。二荒山(ふたらやま)神社の門前集落に起源をもち,中世には宇都宮氏の城館があり,奥州街道が通っていた。1598-1601年(慶長3-6)の城主蒲生秀行が城の西側の町造りを始めたとされているが,02年徳川家康が地子免許を認め,伝馬の常備を命じているのは奥州を抑えるのど首の地として重視したことを示す。17年(元和3)家康の廟が造営されると宇都宮は日光の入口となり,宇都宮城は歴代将軍の日光社参には宿所となった。19年城主となった本多正純は城と城下町の大改造を行い,田川を東側の外濠とし,北の二荒山神社と城を切り離して互いに向き合う形とし,城内とその西側に武家屋敷,さらに西側に南から日光道中沿いに約10町,伝馬町から東に分岐する奥州道中沿いに二荒山神社をはさんで西に上町,東に下町の20余町,最北部と南の入口に寺院を配置した。この時開かれた上町に対し,下町は古く奥州道中沿いに発展した町で,大町には奥平氏時代の1614年に始まる大膳市があり,青物,魚類などの5・10の六斎市が立った。日光道中の通行増大に伴い,27年(寛永4)上町6ヵ町に2・7の六斎市が認可され,下町の新宿町に3・8の六斎市が開かれるなど商業は活発であったが,上町と下町は塩,魚,穀物などの商いをめぐって対立をくり返した。一挙に32町に拡大された町は江戸中期には44町になり,初期には10家以上あった町年寄も17世紀後半から植木,長江,森田の3家が各十数町を管轄した。町人人口は元禄年間(1688-1704)9700人余,天保年間(1830-44)9500人余。池上町,伝馬町には本陣が各1軒置かれ,大体問屋も兼ねて宿場の中心となった。幕末期には宇都宮商人から菊池教中らの尊王論者を生み,戊辰戦争では城下は戦場となって荒廃し,城も大部分破壊された。
→宇都宮藩
執筆者:河内 八郎
宇都宮市北部の旧町。旧河内郡所属。人口9547(2005)。1994年町制。旧宇都宮市の北に接し,鬼怒川西岸の低地および丘陵地を占める。耕地の大部分は水田で,米作が農業の中心。鬼怒川西岸の低地は1723年(享保8)の五十里洪水をはじめしばしば水害をこうむってきたが,現在は鬼怒川の改修が進み良質米の産地となっている。1970年代半ばまでは人口減少が続いていたが,近年は横ばいから増加に転じた。兼業化が進み,旧宇都宮市への通勤者がふえている。なお,町の北西にある羽黒山の山頂には羽黒山神社がある。
宇都宮市北東部の旧町。旧河内郡所属。1966年町制。人口3万5176(2005)。旧宇都宮市の北に接し,南部をJR東北本線,国道4号線が通じる。町域は鬼怒川西岸の低地から丘陵地を占め,中央部には低い台地が連なる。16世紀末に開削された逆木用水により台地の新田開発が進み,耕地の大半は水田である。米作中心の農業が行われ,タマネギ,シイタケも産する。1960年代初めに工業団地が造成され,機械,食品,タイルなどの工場が進出した。60年代後半からは宇都宮市のベッドタウンとして県や民間の住宅地開発が進み,人口は増加し続けている。地下水が豊富で,旧宇都宮市上水道の給水量の大半を町内の水源から供給している。
執筆者:千葉 立也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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