斎院村(読み)さやむら

日本歴史地名大系 「斎院村」の解説

斎院村
さやむら

[現在地名]松山市南斎院みなみさや町・北斎院きたさや

松山平野の西平坦部に位置する農村。東は南江戸みなみえど村・針田はりた村、西は高岡たかおか村・北吉田きたよしだ村、南は佐古さこ川を境に針田村・富久とみひさ村、北は別府べふ村に接する。別府村と南斎院村の村境に分離丘陵の岩子いわこ(一二八メートル)があり、西に津田つだ(一六三メートル)天神てんじん(一一四メートル)がある。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)温泉おんせん郡の項に「斎院村」とある。元禄一三年(一七〇〇)の領分附伊予国村浦記にも天保郷帳(一八三四)にも単に斎院村となっているが、明治五年(一八七二)の「松山領里正鑑」では南北の二村に分れおのおの里正が存在するから、この間に分村されたと推察される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む