デジタル大辞泉
「仲哀天皇」の意味・読み・例文・類語
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ちゅうあい‐てんのう‥テンワウ【仲哀天皇】
- 記紀に伝える第一四代天皇。日本武尊の王子。名は帯中津日子尊(たらしなかつひこのみこと)。九州の熊襲がそむいたので、親征のため筑紫の橿日宮(かしいのみや)に下向し、ここで崩御した。皇后は気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)。
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仲哀天皇
ちゅうあいてんのう
第14代に数えられる天皇。名はタラシナカツヒコノミコト。日本武尊の皇子。母はフタジイリヒメノミコト。皇后はオキナガタラシヒメノミコトすなわち神功皇后。伝によると熊襲を討つため,皇后とともに筑紫に行幸したとき,まず新羅を討つべしという神の託宣にそむいたため,神の怒りにふれて戦陣で没したという。この頃朝鮮半島との関係が深くなったことは事実で,その後百済の日本遣使,日本軍の高句麗との交戦なども伝えられている。陵墓は仲哀天皇陵,岡ミサンザイ古墳とも呼ばれる大阪府藤井寺市藤井寺の恵我長野西陵(えがのながののにしのみささぎ)で,2019年世界遺産の文化遺産に登録。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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仲哀天皇 (ちゅうあいてんのう)
第14代に数えられる天皇。英雄日本武(やまとたける)尊の子。記紀によれば,西海の宝の国を授けるという神託を疑ったために急死したという。この後に皇后オキナガタラシヒメ(神功(じんぐう)皇后)が神意に従って懐妊したまま新羅を攻め服従させる,いわゆる新羅征討物語が続く。《古事記》では仲哀天皇の話はこれだけである。《日本書紀》には熊襲討伐の話もあるが,父の仕事の二番煎じの感がないでもない。皇統を伝えるためにのみ登場したような影のうすい天皇である。
執筆者:倉塚 曄子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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仲哀天皇
ちゅうあいてんのう
生没年不詳。記紀によれば第14代の天皇。4世紀の在位となるが明らかでない。足仲彦(たらしなかつひこ)天皇ともいう。日本武尊(やまとたけるのみこと)の第2子。母は両道入姫(ふだじのいりひめ)。気長足姫(おきながたらしひめ)(神功(じんぐう)皇后)を皇后とする。『日本書紀』によれば、筑紫(つくし)の橿日(かしひ)宮(福岡市香椎(かしい))で熊襲(くまそ)を討つことを協議したとき、皇后に神がかって、熊襲よりも新羅(しらぎ)を先に討つことを託宣した。天皇は託宣を信ぜず、熊襲を討ったが勝つことができなかった。そのうえ病気になり、52歳で没した。『古事記』では、神の怒りに触れて急死したという。河内(かわち)の長野陵(大阪府藤井寺市)に葬る。
[志田諄一]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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仲哀天皇
『古事記』『日本書紀』に第14代と伝えられる天皇。足仲彦天皇ともいう。記紀によれば日本武尊と垂仁天皇の娘両道入姫命の子。皇后は神功皇后,子に応神天皇がいる。『日本書紀』によれば,熊襲が背いたので紀伊国徳勒津の仮宮から海路九州に向かったという。筑紫の橿日宮(福岡市香椎)で神功皇后が神がかりし,新羅を征討すべしとの託宣を得たが,天皇は信用せず,神の怒りに遇い,急死したという。別伝では熊襲の矢に当たり死んだともいう。父日本武尊,妻神功皇后伝承とのかかわりのなかで考えると実在は疑わしい。また天皇死後,穴戸(長門)豊浦宮にて殯はしたが,葬することはなかったと伝える。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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仲哀天皇 ちゅうあいてんのう
記・紀系譜による第14代天皇。
父は日本武尊(やまとたけるのみこと)。母は両道入姫命(ふたじのいりびめのみこと)。「日本書紀」によれば,神功(じんぐう)皇后と遠征中の九州で,皇后への神託をいぶかったため,熊襲(くまそ)も討てず,仲哀天皇9年2月6日筑紫(つくし)で急病死したという。52歳。死はふせられ,穴門(あなと)(山口県)の豊浦(とゆらの)宮で仮葬された。墓所は恵我長野西陵(えがのながぬのにしのみささぎ)(大阪府藤井寺市)。別名は足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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仲哀天皇
『日本書紀[にほんしょき]』に出てくる14代天皇で、熊襲[くまそ]を攻めたのですが、先に新羅[しらぎ]を攻めるべきだという神のお告げを無視したため、陣地で亡くなったと書かれています。
出典 ほうふWeb歴史館防府市歴史用語集について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の仲哀天皇の言及
【香椎宮】より
…福岡市に鎮座。祭神は神功皇后,または仲哀天皇といわれ諸説あるが,現在は仲哀天皇,神功皇后,相殿に応神天皇,住吉大神をまつる。旧官幣大社。…
【景行天皇】より
…記紀ともに征討による王権の版図拡大という枠組みにしたがっているが,《古事記》は《日本書紀》にはない王権を代表する父天皇と英雄的個性としての皇子との対立を主題化しており,日本武尊を主人公とする一編の悲劇的物語を構成している。なお景行の〈大足彦〉に対し,13代成務天皇は〈稚足彦(わかたらしひこ)〉,14代仲哀天皇は〈足仲彦(たらしなかつひこ)〉を名乗る。〈たらし〉は充足するという意味の嘉名で,この3代の天皇はそれぞれ分身的関係にあり,あるいは1人の〈足彦〉を系譜的,説話的に分割・延長したものともみなされる。…
※「仲哀天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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