朝日日本歴史人物事典 「蒲生忠知」の解説
蒲生忠知
生年:慶長10(1605)
江戸初期の大名。伊予国(愛媛県)松山藩の藩主。父は秀行,母は徳川家康の娘振姫。幼名鶴松丸。中務大輔,侍従。寛永3(1626)年出羽国上山(山形県)4万石を拝領。4年会津藩主の兄忠郷が跡継ぎがなく没したため,会津60万石は幕府に収公され,その代わり忠知に伊予松山20万石と近江(滋賀県)日野4万石,合わせて24万石が与えられた。9年御家騒動により家老の福西吉左衛門らが処分を受けた。江戸で死去。忠知の死により蒲生家は跡継ぎがなく断絶。松山地方特産の緋蕪は忠知時代に日野からもたらされたものだという。
(長谷川成一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報