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朱雀天皇 すざくてんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

朱雀天皇
すざくてんのう

[生]延長1(923).7.24. 京都
[没]天暦6(952).8.15. 京都
第 61代の天皇 (在位 930~946) 。名は寛明 (ひろあきら) ,法諱は仏陀寿。醍醐天皇の第 11皇子,母は太政大臣藤原基経の娘,皇后穏子。延長8 (930) 年受禅,次いで即位。在位中は天災が多く,地方では東国に平将門の乱,西国に藤原純友の乱 (→承平・天慶の乱 ) が起った。

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デジタル大辞泉の解説

すざく‐てんのう〔‐テンワウ〕【朱雀天皇】

[923~952]第61代天皇。在位930~946。醍醐天皇の第11皇子。名は寛明(ひろあきら)。在位中は世俗混乱し、平将門(たいらのまさかど)藤原純友(ふじわらのすみとも)の乱が起こった。しゅじゃくてんのう。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

朱雀天皇 すざくてんのう

923-952 平安時代中期,第61代天皇。在位930-946。
延長元年7月24日生まれ。醍醐(だいご)天皇の第11皇子。母は藤原穏子(おんし)。父の譲位をうけ8歳で即位。母の兄藤原忠平が摂政,のち関白として政治の実権をにぎる。在位中,平将門(まさかど),藤原純友(すみとも)が乱をおこし(承平(じょうへい)・天慶(てんぎょう)の乱),社会・政治はみだれ,武士台頭の下地がつくられた。天慶9年24歳で譲位。天暦(てんりゃく)6年8月15日死去。30歳。墓所は醍醐陵(だいごのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は寛明(ゆたあきら)。法名は仏陀寿。歌集に「朱雀院御集」。
【格言など】梅の花咲けるあたりをゆき過ぎて昔の人の香をばたづねむ(「続後拾遺和歌集」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

朱雀天皇

没年:天暦6.8.15(952.9.6)
生年:延長1(923)
平安中期の天皇。醍醐天皇と皇后藤原穏子(基経の娘)の子。諱は寛明。藤原基経,時平は共に宇多天皇に娘を入れたが皇子の誕生がなく,『大鏡』は,この親王が生まれなかったら藤原氏の繁栄はなかったろうと記す。そこで当時恐れられていた菅原道真の怨霊の祟りを避けるため,3歳になるまで御殿の格子も上げずに昼夜灯をともし,御帳台の中で育てられたといい,藤原氏にとってまさに掌中の玉であった。延長3(925)年,3歳で立太子,同8年に即位すると外舅(妻の父)忠平が摂政(のち関白)となった。在位中は母穏子の容喙するところがあり,心ならずも母の言に従って弟成明親王(村上天皇)へ譲位したことを,のちに後悔したという。いわゆる承平・天慶の乱は在位中に起こっている。出家して仁和寺(京都市右京区)に入り(法名を仏陀寿),5カ月後に没した。諡号は譲位後母と共に遷御した後院の朱雀院にちなんでいる。墓は醍醐(山)陵(伏見区)といい,西北には父天皇の陵墓がある。<参考文献>村井康彦『平安貴族の世界』

(瀧浪貞子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

すざくてんのう【朱雀天皇】

923~952) 第六一代天皇(在位930~946)。名は寛明ゆたあきら。醍醐天皇第一一皇子。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

朱雀天皇
すざくてんのう
(923―952)

第61代天皇(在位930~946)。醍醐(だいご)天皇第11皇子。母は藤原基経(もとつね)の女(むすめ)、皇后穏子(おんし)。諱(いみな)は寛明(ゆたあきら)。同母兄皇太子保明(やすあきら)親王および甥(おい)皇太孫慶頼(よしより)王の死後、925年(延長3)3歳で皇太子となり、930年8歳で禅を受け即位。在世中、風水旱蝗(かんこう)の害がしばしば起こり、海賊も多発し、平将門(まさかど)・藤原純友(すみとも)の乱(承平(じょうへい)・天慶(てんぎょう)の乱)が出来(しゅったい)し、政綱の緩みが目だった。天皇は穏子の愛育を受け、性柔寛で、寛にすぎるとの評を得、藤原忠平(ただひら)の諫(いさ)めるところがあった。946年(天慶9)の退位も、将門の乱を恐れたことが一因であった。退位後はしばしば嵯峨(さが)、醍醐、大堰(おおい)川などへ行幸し、また芥川野(あくたがわの)、栗隈野(くりくまの)などへ遊猟した。天暦(てんりゃく)6年8月15日崩御、京都伏見の醍醐陵に葬られた。[森田 悌]

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