朱雀天皇(読み)スザクテンノウ

デジタル大辞泉 「朱雀天皇」の意味・読み・例文・類語

すざく‐てんのう〔‐テンワウ〕【朱雀天皇】

[923~952]第61代天皇在位930~946。醍醐天皇の第11皇子。名は寛明ゆたあきら。在位中は世俗混乱し、平将門たいらのまさかど藤原純友ふじわらのすみともの乱が起こった。しゅじゃくてんのう。

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精選版 日本国語大辞典 「朱雀天皇」の意味・読み・例文・類語

すざく‐てんのう‥テンワウ【朱雀天皇】

  1. 第六一代の天皇。醍醐天皇の第一一皇子。母は藤原基経(もとつね)の娘穏子。名は寛明(ひろあきら)延長八年(九三〇即位。治世中、政情は不安定で、承平六年(九三六)以後、平将門藤原純友東西で乱を起こし(承平・天慶の乱)、天慶四年(九四一)、ようやく鎮定。同九年村上天皇譲位。世に承平法皇と称した。在位一七年。延長元~天暦六年(九二三‐九五二

しゅじゃく‐てんのう‥テンワウ【朱雀天皇】

  1. すざくてんのう(朱雀天皇)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「朱雀天皇」の意味・わかりやすい解説

朱雀天皇
すざくてんのう
(923―952)

第61代天皇(在位930~946)。醍醐(だいご)天皇第11皇子。母は藤原基経(もとつね)の女(むすめ)、皇后穏子(おんし)。諱(いみな)は寛明(ゆたあきら)。同母兄皇太子保明(やすあきら)親王および甥(おい)皇太孫慶頼(よしより)王の死後、925年(延長3)3歳で皇太子となり、930年8歳で禅を受け即位。在世中、風水旱蝗(かんこう)の害がしばしば起こり、海賊も多発し、平将門(まさかど)・藤原純友(すみとも)の乱(承平(じょうへい)・天慶(てんぎょう)の乱)が出来(しゅったい)し、政綱の緩みが目だった。天皇は穏子の愛育を受け、性柔寛で、寛にすぎるとの評を得、藤原忠平(ただひら)の諫(いさ)めるところがあった。946年(天慶9)の退位も、将門の乱を恐れたことが一因であった。退位後はしばしば嵯峨(さが)、醍醐、大堰(おおい)川などへ行幸し、また芥川野(あくたがわの)、栗隈野(くりくまの)などへ遊猟した。天暦(てんりゃく)6年8月15日崩御、京都伏見の醍醐陵に葬られた。

森田 悌]

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朝日日本歴史人物事典 「朱雀天皇」の解説

朱雀天皇

没年:天暦6.8.15(952.9.6)
生年:延長1(923)
平安中期の天皇。醍醐天皇と皇后藤原穏子(基経の娘)の子。諱は寛明。藤原基経,時平は共に宇多天皇に娘を入れたが皇子の誕生がなく,『大鏡』は,この親王が生まれなかったら藤原氏の繁栄はなかったろうと記す。そこで当時恐れられていた菅原道真の怨霊の祟りを避けるため,3歳になるまで御殿の格子も上げずに昼夜灯をともし,御帳台の中で育てられたといい,藤原氏にとってまさに掌中の玉であった。延長3(925)年,3歳で立太子,同8年に即位すると外舅(妻の父)忠平が摂政(のち関白)となった。在位中は母穏子の容喙するところがあり,心ならずも母の言に従って弟成明親王(村上天皇)へ譲位したことを,のちに後悔したという。いわゆる承平・天慶の乱は在位中に起こっている。出家して仁和寺(京都市右京区)に入り(法名を仏陀寿),5カ月後に没した。諡号は譲位後母と共に遷御した後院の朱雀院にちなんでいる。墓は醍醐(山)陵(伏見区)といい,西北には父天皇の陵墓がある。<参考文献>村井康彦『平安貴族の世界』

(瀧浪貞子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「朱雀天皇」の解説

朱雀天皇 すざくてんのう

923-952 平安時代中期,第61代天皇。在位930-946。
延長元年7月24日生まれ。醍醐(だいご)天皇の第11皇子。母は藤原穏子(おんし)。父の譲位をうけ8歳で即位。母の兄藤原忠平が摂政,のち関白として政治の実権をにぎる。在位中,平将門(まさかど),藤原純友(すみとも)が乱をおこし(承平(じょうへい)・天慶(てんぎょう)の乱),社会・政治はみだれ,武士台頭の下地がつくられた。天慶9年24歳で譲位。天暦(てんりゃく)6年8月15日死去。30歳。墓所は醍醐陵(だいごのみささぎ)(京都市伏見区)。諱(いみな)は寛明(ゆたあきら)。法名は仏陀寿。歌集に「朱雀院御集」。
【格言など】梅の花咲けるあたりをゆき過ぎて昔の人の香をばたづねむ(「続後拾遺和歌集」)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「朱雀天皇」の意味・わかりやすい解説

朱雀天皇
すざくてんのう

[生]延長1(923).7.24. 京都
[没]天暦6(952).8.15. 京都
第 61代の天皇 (在位 930~946) 。名は寛明 (ひろあきら) ,法諱は仏陀寿。醍醐天皇の第 11皇子,母は太政大臣藤原基経の娘,皇后穏子。延長8 (930) 年受禅,次いで即位。在位中は天災が多く,地方では東国に平将門の乱,西国に藤原純友の乱 (→承平・天慶の乱 ) が起った。天慶9 (946) 年村上天皇に譲位。陵墓は京都市伏見区醍醐御陵東裏町の醍醐陵。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「朱雀天皇」の解説

朱雀天皇
すざくてんのう

923.7.24~952.8.15

在位930.9.22~946.4.20

醍醐天皇の第11皇子。名は寛明(ゆたあきら)。母は藤原基経の女穏子(おんし)で,保明親王・村上天皇と同母兄弟である。皇太子慶頼(よしより)王(保明の子)の死去により,925年(延長3)立太子した。930年父の譲位により践祚する。女御の熙子(きし)女王(保明の女)に昌子(しょうし)内親王が生まれたほかには男子はなく,村上天皇を皇太弟に立て,譲位した。

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367日誕生日大事典 「朱雀天皇」の解説

朱雀天皇 (すざくてんのう)

生年月日:923年7月24日
平安時代中期の第61代の天皇
952年没

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