第61代天皇(在位930~946)。醍醐(だいご)天皇第11皇子。母は藤原基経(もとつね)の女(むすめ)、皇后穏子(おんし)。諱(いみな)は寛明(ゆたあきら)。同母兄皇太子保明(やすあきら)親王および甥(おい)皇太孫慶頼(よしより)王の死後、925年(延長3)3歳で皇太子となり、930年8歳で禅を受け即位。在世中、風水旱蝗(かんこう)の害がしばしば起こり、海賊も多発し、平将門(まさかど)・藤原純友(すみとも)の乱(承平(じょうへい)・天慶(てんぎょう)の乱)が出来(しゅったい)し、政綱の緩みが目だった。天皇は穏子の愛育を受け、性柔寛で、寛にすぎるとの評を得、藤原忠平(ただひら)の諫(いさ)めるところがあった。946年(天慶9)の退位も、将門の乱を恐れたことが一因であった。退位後はしばしば嵯峨(さが)、醍醐、大堰(おおい)川などへ行幸し、また芥川野(あくたがわの)、栗隈野(くりくまの)などへ遊猟した。天暦(てんりゃく)6年8月15日崩御、京都伏見の醍醐陵に葬られた。
[森田 悌]
(瀧浪貞子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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923.7.24~952.8.15
在位930.9.22~946.4.20
醍醐天皇の第11皇子。名は寛明(ゆたあきら)。母は藤原基経の女穏子(おんし)で,保明親王・村上天皇と同母兄弟である。皇太子慶頼(よしより)王(保明の子)の死去により,925年(延長3)立太子した。930年父の譲位により践祚する。女御の熙子(きし)女王(保明の女)に昌子(しょうし)内親王が生まれたほかには男子はなく,村上天皇を皇太弟に立て,譲位した。
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