新照院通町
しんしよういんどおりまち
[現在地名]鹿児島市新照院町など
甲突川左岸に沿い、城山と同川に挟まれた地。南は平之馬場町。新照院は西田村に属し(三国名勝図会)、城下と近在の境であった。元禄一五年(一七〇二)新照院から隆盛院辺まで二三ヵ所・高一八石余の屋敷立てが行われた(古記)。「大久保利通日記」によると、当地内の上山寺に大久保利通の姉の墓があり、嘉永元年(一八四八)一月二日墓参し「愁嘆耐え難し」と記している。「鎌田正純日記」には弘化二年(一八四五)六月、新上橋の普請による通行止め、同橋が眼鏡橋となることが記されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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