新田畑村(読み)しんでんはたむら

日本歴史地名大系 「新田畑村」の解説

新田畑村
しんでんはたむら

[現在地名]柏崎市松美まつみ一―二丁目・新田畑・長浜ながはま町・北斗ほくと町・田塚たつか一―三丁目

東は藤井ふじい村・田塚村、南は長浜村、西は比角ひすみ村、北は春日かすが村。近世は元和二年(一六一六)から同四年の長峰藩牧野忠成領以外は高田藩領、天和元年(一六八一)以後幕府領。寛永四年(一六二七)の年貢皆済状(阿部輝夫氏蔵)には新田村と記され高二六八石余。正保国絵図にも新田村とあり、高二六八石余。延宝七年(一六七九)の越州四郡高帳では高は同様ながら「新田町」とある。新田畑村となるのは慶安五年(一六五二)の年貢皆済状(同氏蔵)からである。天和三年の越後中将御領覚では高三三七石九斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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