新通村古新田
しんどおりむらこしんでん
[現在地名]新潟市新通・須賀・坂井二―三丁目
西川に沿い、東は亀貝村、西は槙尾村。南は水田が広がり、集落は上組・中組・下組・中才に分れる。元禄郷帳に五十嵐浜枝郷新通新田村とあり、高一千三六八石三斗余。明暦元年(一六五五)の城志賀(下)組検地帳(吉田ツタ氏蔵)では高四二三石五斗余のうち五九石二斗余が五十嵐起とあり、田三一町一反八畝余・畑一〇町四反六畝余・屋敷七反八畝余で、名請人数五五。元禄一二年(一六九九)の取決書(坂井直芳氏蔵)によると、江筋掘替えにあたり、揚土で土手が高くならないようにすることなどを亀貝村と黒鳥村(現西蒲原郡黒埼町)に約束しており、また、右両村の土手新築には反対し、今後とも新土手築立ての時は高さ・幅・長さなど必ず相談することを約定している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 