新野陣屋跡(読み)しんのじんやあと

日本歴史地名大系 「新野陣屋跡」の解説

新野陣屋跡
しんのじんやあと

[現在地名]中野市大字新野

尾張の徳川光友の次男松平摂津守義行が分家して、天和元年(一六八一)美濃国高須藩三万石に封ぜられた。領知のうち半分は信濃にあって、伊那地方は山本村竹佐たけさ、高井分は新野陣屋代官をおいて治めた。当陣屋の管轄は一七ヵ村(新野・間山・新保・篠井・更科・高遠・夜間瀬・宇木・横倉・越・小田中・桜沢・北大熊・戸狩・寒沢・菅・上条)で、元禄一三年(一七〇〇)廃庁となり、中野陣屋に移った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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