旗持城跡(読み)はたもちじようあと

日本歴史地名大系 「旗持城跡」の解説

旗持城跡
はたもちじようあと

[現在地名]柏崎市米山町

米山よねやま町集落背後標高約三六六メートルの通称旗持山じよう山とも)にあり、米山三里の峠道を扼する。西方に日本海に面するひじりはなの砦がある。自然の地形を利用して大規模な普請はみられない。本丸跡は東西三五メートル、南北三〇メートル。南と東に袖郭を設け、米山町より至る大手道以外に侵入個所はない。御館の乱の折には上杉景勝方の佐野清左衛門尉(図書助)居城した。天正六年(一五七八)九月二日の上杉景虎書状(志賀槙太郎氏蔵)によると、北条きたじよう城主、当時厩橋まやばし(現群馬県前橋市)城主北条景広に対して「八崎」へ出陣して旗持山の攻略を命じている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 ジョウ 厩橋

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android