日比津村(読み)ひびつむら

日本歴史地名大系 「日比津村」の解説

日比津村
ひびつむら

[現在地名]中村区日比津町・十王じゆうおう町・本陣ほんじん通・高道たかみち町・鳥居とりい通・猪之越いのこし町・森田もりた町・森末もりすえ町・かみみや町・橋下はしした

庄内川の東岸にあり、北に枇杷島びわじま(現西区)がある。常徳寺古縁起(尾張名所図会)に「尾州愛知郡泥津長秋山常徳寺建立之事(中略)応永八年立坊就」とあり、古くは泥津と記したらしい。慶長一一年(一六〇六)田代内記にあてた松平忠吉知行宛行状(新編一宮市史)には「一、百石 愛知郡日比津村」とある。

寛文一一年(一六七一)の家数一六三、人数八七五(寛文覚書)。「徇行記」によれば、田は七一町一反八畝余、畑は四〇町七反一畝余で、概高二千二七五石余のうち二千二二八石余が藩士四六名の給知で、「十ケ年目毎ニ地概ヲスル故持高大体甲乙ハナシト云」と記され、一〇年ごとに耕作地の割替が行われていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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