日清汽船会社(読み)にっしんきせんかいしゃ

改訂新版 世界大百科事典 「日清汽船会社」の意味・わかりやすい解説

日清汽船会社 (にっしんきせんかいしゃ)

中国沿岸航路を経営した日本の海運国策会社。日清戦争後,揚子江航路に進出した日本の海運業同士の激しい競争を回避するため,政府の勧誘で大東汽船,湖南汽船の2社と大阪商船日本郵船の揚子江航路部門を統合・合併して1907年3月創立された。新会社は4社の航路を継承し,本社を東京に置き,初代社長に逓信官僚石渡邦之丞が就任した。資本金は810万円であるが,海運業界では日本郵船,大阪商船,東洋汽船につぐ第4位の規模であった。政府が多額の補助金を交付して助成したので,業績は順調に伸び,18年大阪~漢口(現,武漢),20年上海~広東,26年上海~天津間の航路を開き,中国沿岸航路を支配した。しかし日本の中国侵略が進むと日貨排斥を中心に排日運動が盛んになり,28年以降業績は急低下し,30年から初めて無配当に転落,経営は困難になり,39年8月,新設の東亜海運に吸収合併された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報