20世紀日本人名事典 「日野晏子」の解説 日野 晏子ヒノ ヤスコ 昭和期の俳人 生年明治39(1906)年3月10日 没年昭和62(1987)年10月28日 出生地大阪市 本名日野 政江(ヒノ マサエ) 旧姓(旧名)甲川 政江(コウガワ マサエ) 別名初号=真冴 主な受賞名〔年〕サンケイ俳句賞 経歴昭和6年日野草城と結婚。戦後作句を始め、「太陽系」に投句。24年草城主宰の「青玄」に投句、27年同人となる。草城が31年に没するまでの10年間、ほとんど寝たきりだった草城の看病だけでなく口述筆記も行なった。31年「青玄」無鑑査同人。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「日野晏子」の解説 日野晏子 ひの-やすこ 1906-1987 昭和時代後期の俳人。明治39年3月10日生まれ。日野草城(そうじょう)の妻。戦後,病気の夫をなぐさめるため句作をはじめ,「太陽系」などに投句。昭和24年から草城が主宰する「青玄」に投句。夫の闘病生活をたすけながら口述筆記,雑誌編集事務にあたった。昭和62年10月28日死去。81歳。大阪出身。本名は政江。別号に真冴。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by