日本大百科全書(ニッポニカ) 「日高涼台」の意味・わかりやすい解説 日高涼台ひだかりょうだい(1797―1868) 江戸末期の蘭方(らんぽう)医。安芸(あき)国(広島県)の人。名は精、また惟一。字(あざな)は子精。六六堂、遯臾(とんゆ)などと号した。医家に生まれ、初め古医方を修めた。のち新宮凉庭(しんぐうりょうてい)についてオランダ医学を学ぶ。1825年(文政8)長崎に行き、シーボルトに師事した。1828年大坂に出て医業を開いた。眼科の診療に優れていたといわれる。1835年(天保6)『和蘭(オランダ)用薬便覧』を執筆、1837年刊行。のち1842年、安芸国竹原に帰り、医業を続けた。[大鳥蘭三郎][参照項目] | シーボルト | 新宮凉庭 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例