旦過瀬
たんがのせ
白川左岸の本山河原とよばれる地域で、石塘の対岸にあたる。「国誌」の飽田郡横手手永の古町村の項に「石塘ノ杉馬場ヲ出、三町可リ南ヘ行キ、白河ノ方ニ古ハ旦過ノ旅僧ヲ宿セシ堂アリ、下辺ハ白川也、飽田郡ヨリ詫磨郡ヘ行ク渉アリ、其所ヲ旦過ノ瀬ト云」とある。古府中に肥後国府があった頃、ここには大橋が架かり、阿蘇に至る大道であったともいう。天正八年(一五八〇)三月隈本城主城親賢・隈府城(現菊池市)城主隈部親永などは薩摩島津氏と結び、豊後大友氏配下の阿蘇氏と対立していた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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