出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
高知県中北部、長岡郡の町。1910年(明治43)町制施行。1955年(昭和30)吉野村と合併。国道439号が通じる。四国山地中に位置し、中央部を吉野川上流が縦谷となって東流。南岸に立地する中心地本山は戦国時代には本山氏の本拠地で、本山城跡が残る。古代、南海道が通過し、吾椅(あがはし)駅が所在したとする説もある。近世は土佐藩参勤交代道の経由地で、土佐藩はこの地に重臣を配した。土佐藩執政野中兼山(けんざん)もこの地を拝領、帰全山公園(きぜんざんこうえん)には兼山の母方秋田氏の墓地がある。北部の白髪(しらが)山(1469メートル)一帯はかつて土佐藩林で、現在は林野庁の四国森林管理局による天然ヒノキの保護林もあり、白髪山県立自然公園に指定され、木材のほかコウゾを産する。南西部の土佐町との境には四国の水甕(みずがめ)の早明浦(さめうら)ダムがある。農業は、米作のほかに野菜栽培や肉用牛肥育などが行われている。帰全山公園はシャクナゲの名所となっている。面積134.22平方キロメートル、人口3261(2020)。
[大脇保彦]
『『本山町史』(1979・本山町)』
高知県北部,長岡郡の町。人口4103(2010)。四国山地中央部,吉野川の上流域に位置し,北は愛媛県に接する。古代,四国山地を越えて土佐国府に向かう官道が通じ,吾椅(あがはし)駅が置かれた。平安時代末期には紀州熊野社領の吾橋荘が設置されている。戦国期には土佐七雄の一に数えられ,長宗我部氏と覇を競った本山氏の本拠地であり,その城跡は町の南西にそびえる田井山(818m)の尾根先端にある。江戸時代前期には,土佐藩執政として藩政を掌握した野中兼山の知行地で,その屋敷地跡は現在上街(うえまち)公園となり,桜の名所として知られる。野中家累代の墓のある帰全山には兼山の銅像が立つ。北東部にある白髪(しらが)山(1470m)は古くより良材を産した。米作,茶やシイタケ,野菜の栽培のほか肉牛の飼育も盛んである。町域中央南寄りを,東流する吉野川に沿って国道439号線が走る。
執筆者:萩原 毅
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
末寺をもつ寺院。他宗寺院の改宗と末寺化,末寺の創建などによって成立。真宗の本願寺,日蓮宗の京都二十一カ本寺などが有名。近世には,政治機構としての本末制度のもとで一宗一本山に限定。末寺住職の任免権や寺号免許など,本寺による末寺支配が幕府の支持のもとに制度として定着させられた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…他方,鎌倉時代に興った庶民仏教といわれた浄土宗,真宗,時宗,日蓮宗(法華宗)の諸寺院は,室町時代になるとほぼ全国に成立した。これらは朝廷や幕府の官寺ではなく,地方武士や町衆や農民の外護のもと民間の寺として出発し,草庵から村堂や町堂に,さらに寺号をもつ寺院に発達した歴史をもち,なかには多くの地方末寺を擁した各宗門流本山も成長した。浄土宗の知恩院,光明寺,誓願寺,真宗の本願寺,仏光寺,専修(せんじゆ)寺,時宗の清浄光(しようじようこう)寺,金蓮寺,日蓮宗の久遠(くおん)寺,大石(たいせき)寺,本門寺,妙顕寺などである。…
…本寺・本山と末寺の関係についての制度。本末関係は,本山と末寺間の関係,末寺間相互の関係に分けられるが,前者を狭義の本末関係,後者を上寺下寺関係とすべきであろう。…
※「本山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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