出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
熊本県北東部の市。2005年2月阿蘇町,一の宮(いちのみや)町と波野(なみの)村が合体して成立した。人口2万8444(2010)。
阿蘇市西部の旧町。旧阿蘇郡所属。1954年内牧町と黒川,永水,尾ヶ石,山田の4村が合体,改称。人口1万8667(2000)。北は阿蘇山の外輪壁に囲まれ,南に中央火口丘がそびえ,外輪山の一角大観峰からの眺望がすぐれ,全域が阿蘇国立公園に属する。中心の内牧は天正初年,阿蘇氏の一家臣が内牧城を築いたころから町を形成,その後江戸時代に熊本,大分鶴崎を結ぶ参勤交代路である豊後街道の宿場町となり,城の本丸跡に藩主の使うお茶屋,近くにお客屋,郡の政庁郡代も置かれた。内牧温泉は1898年に湧出,1918年豊肥本線,57年阿蘇有料登山道路の開通に伴い,旅館,ホテル,保養所などのほか,ゴルフ場もでき,県下一の温泉休養地となった。セッコウ泉,40~55℃。農村では和牛と米を柱に,タカナ漬,トウモロコシ,トマトなどを産し,囃子と踊りの虎舞,古代からの火焚(ひたき)神事が伝わり,阿蘇山麓の坊中,阿蘇信仰にゆかりある西巌殿寺に後奈良天皇の宸筆(重要文化財)をはじめ,多くの文化財がある。
執筆者:岩本 政教
阿蘇市中部の旧町。旧阿蘇郡所属。1954年宮地町,中通村,古城村,坂梨村が合体,改称。人口1万0054(2000)。町名は宮地にある肥後国一宮阿蘇神社にちなむ。阿蘇火山の北東部を占め,北部から東部にかけては阿蘇外輪山,南部には高岳,根子岳など中央火口丘の一部があり,中央部には阿蘇谷東部の平たん地が開ける。宮地は中世まで阿蘇神社大宮司家阿蘇氏の本拠地で,同氏は南北朝~戦国期にかけて武士団の長となり,肥後に勢力をふるった。現在は阿蘇観光の東の玄関口になっている。坂梨は近世は豊後街道の宿場町であった。農業が基幹産業で平たん地では米作,外輪山と山麓の牧野では阿蘇赤牛の肥育,山間地では林業が行われる。全域が阿蘇国立公園に属し,県最大の長目塚古墳をはじめとする古墳群,手野の国造(こくぞう)神社など名所旧跡が多い。JR豊肥本線,九州横断道路(やまなみハイウェー,1994年無料解放)が通じる。
阿蘇市東部の旧村。旧阿蘇郡所属。人口1736(2000)。阿蘇外輪山の東斜面に位置し,標高700~800mの起伏のゆるやかな波野高原が広がる。豊肥本線,国道57号線が通じる。キャベツを主とする高原野菜の栽培と肉牛飼育が盛んで,杉の良材も産する。高原はキャンプや春のワラビ採りでにぎわう行楽地で,九州で一番高い駅(754m)の波野駅付近にはスズランの自生地もみられる。
執筆者:松橋 公治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
熊本県北東部、阿蘇郡にあった旧町名(阿蘇町(まち))。現在は阿蘇市の西部を占める。旧阿蘇町は1954年(昭和29)内牧(うちのまき)町と山田、黒川、尾ヶ石(おがいし)、永水(ながみず)の4村が合併して改称。町名は阿蘇郷(ごう)、阿蘇山に由来する。2005年(平成17)、一の宮町、波野(なみの)村と合併、市制施行して阿蘇市となった。旧阿蘇町域は阿蘇谷に位置し、JR豊肥(ほうひ)本線が通じる。開発が古いだけに、陸路(豊後(ぶんご)街道、国道57号、豊肥本線)は整っており、阿蘇駅付近、国道沿いに住宅が増えつつある。そのなかで内牧地区は、温泉街として阿蘇観光の基地的役割をいまなお担っている。周辺の火口原部では、水田裏作のほか、野菜栽培が本格化している。また、火山灰土壌に覆われた斜面部では「肥後の赤牛」の飼育が盛んである。昭和初期まで舞われていた「阿蘇の虎舞(とらまい)」(県指定無形民俗文化財)は、農村阿蘇の豊年祝いの舞である。
[山口守人]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(2014-9-25)
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