阿蘇(読み)アソ

デジタル大辞泉 「阿蘇」の意味・読み・例文・類語

あそ【阿蘇】

熊本県北東部にある市。阿蘇カルデラの北半を占める。稲作と高原野菜栽培が盛ん。平成17年(2005)2月に一の宮町阿蘇町波野村が合併して成立。人口2.8万(2010)。

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精選版 日本国語大辞典 「阿蘇」の意味・読み・例文・類語

あそ【阿蘇】

  1. [ 一 ] 熊本県北東部の地名。阿蘇火口原の北半と、外輪山の東側斜面の一部を占める。平成一七年(二〇〇五)市制。
  2. [ 二 ] 熊本県の北東部の郡。かつては[ 一 ]も含み、阿蘇山一帯を占めた。
  3. [ 三 ]あそさん(阿蘇山)」の略。

あそ【阿蘇】

  1. 姓氏の一つ。熊本県の阿蘇神社の大宮司家。古来より首長としての系譜をもつ豪族。平安期ころから在地領主として、勢力を伸ばした。南北朝期に、一族内部も南朝・北朝両方に分裂。一時は、惟村が肥後国守護職に補任されるが、その後徐々に衰退。戦国期には大友氏、ついで島津氏に従い、惟光が豊臣秀吉に討たれたことによって、武士としての側面は失われた。それ以後、三五〇石を与えられ、阿蘇社祭祀の継承者として明治に至る。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿蘇」の意味・わかりやすい解説

阿蘇(市)
あそ

熊本県北東部にある市。2005年(平成17)、阿蘇郡一の宮町、阿蘇町、波野村(なみのそん)が合併、市制施行して成立。市の南境に阿蘇山と外輪山が連なり、市域は、その北麓の標高700~850メートルの緩傾斜面および阿蘇谷平坦地に展開し、阿蘇くじゅう国立公園の指定域。中央部をJR豊肥(ほうひ)本線と国道57号が横断、57号からは北へ向かってやまなみハイウェイ(主要地方道)、国道212号が、南へ向かって同265号が分岐する。阿蘇神社(阿蘇社)が鎮座する宮地(みやじ)は、交通の要所で市街地が発達、当市および阿蘇郡の行政・教育、商業の中心地となっている。

 中通(なかどおり)古墳群の被葬者は、のち阿蘇社を祭祀した在地有力者に繋がるとみられる。阿蘇社は健磐龍命を主神とする阿蘇十二神を祀り、健磐龍命の直系子孫を称する阿蘇氏(阿蘇大宮司家)が社家を主宰。11世紀後半には、阿蘇一郡を荘園化した山城安楽寿院(あんらくじゅいん)領阿蘇荘(阿蘇本社領)が成立し、阿蘇氏が社領を統轄する荘官も兼務した。その後阿蘇氏は未開地を開発して在地領主化。鎌倉時代、北条氏が阿蘇社領の預所職・地頭職を得るが、元弘の変の功績により、阿蘇氏が後醍醐天皇から阿蘇郡本社領一円支配を認められた。以後、阿蘇氏は肥後国の有力国人として在地武士らを率いて活動。しかし、戦国時代末期、島津氏の肥後国進出によって衰え、阿蘇社の祭祀も衰退した。近世、加藤清正が阿蘇氏に知行を与え、社家と祭祀を復活。その後熊本藩主となった細川氏も阿蘇社の祭祀興行を保証し、門前町の宮地町も繁栄。宮地の西方に位置する内牧(うちのまき)には天正期(1572~1592)に内牧城があり、阿蘇氏家臣の辺春(へばる)氏が在城した。同城は島津氏に攻められ落城、加藤清正の時に改修されたが、一国一城令で破却。のち城跡には御茶屋が建てられ、熊本藩主が参勤交代の時の宿泊所となる。内牧には会所が置かれ、在郷町が形成された。

 阿蘇五岳をはじめ、世界最大級のカルデラや広大な草原など、豊かな自然に恵まれた県内最大の観光地で、観光産業が基幹産業。温泉センター、キャンプ場などの施設が多数あり、内牧地区は温泉街として阿蘇観光の基地となっている。観光のほか、平坦地では稲作、山間丘陵地では高冷地野菜の栽培、赤牛飼育などが行われている。阿蘇神社の神殿(3棟)、楼門などは国指定重要文化財。阿蘇神社とその北側に位置する国造神社(こくぞうじんじゃ)で行われる御田植神幸式などの神事は「阿蘇の農耕祭事」の名称で国指定重要無形民俗文化財。中江(なかえ)の荻(おぎ)神社の春秋例祭で奉納される中江の岩戸神楽(いわとかぐら)は国の選択無形民俗文化財。役犬原(やくいぬばる)の霜神社(霜宮)では、8月19日から2か月にわたって火焚殿で火焚乙女が火を燃やし続ける「火焚神事」が行われる。黒川(くろかわ)の西巌殿寺(さいがんでんじ)は、古くは比叡山延暦寺末で、盛時には36坊52庵の大寺院群が栄えたといい、数多くの文化財を保有する。面積376.30平方キロメートル(一部境界未定)、人口2万4930(2020)。

[編集部]

〔2016年熊本地震〕2016年の熊本地震では、4月16日1時25分の地震で震度6弱を観測、阿蘇神社の楼門、拝殿などが損壊するなど、大きな被害に見舞われた。この地震による市内の被害は、関連死を含め死者20名(うち、警察の検視によって確認された死者はない)、重傷者9名、住家全壊108棟、公共建物の損壊67棟にのぼり、罹災世帯数は977を数えている(平成30年5月11日『平成28(2016)年熊本地震等に係る被害状況について【第272報】』熊本県危機管理防災課ほか)。

[編集部]



阿蘇
あそ

熊本県北東部、阿蘇郡にあった旧町名(阿蘇町(まち))。現在は阿蘇市の西部を占める。旧阿蘇町は1954年(昭和29)内牧(うちのまき)町と山田、黒川、尾ヶ石(おがいし)、永水(ながみず)の4村が合併して改称。町名は阿蘇郷(ごう)、阿蘇山に由来する。2005年(平成17)、一の宮町、波野(なみの)村と合併、市制施行して阿蘇市となった。旧阿蘇町域は阿蘇谷に位置し、JR豊肥(ほうひ)本線が通じる。開発が古いだけに、陸路(豊後(ぶんご)街道、国道57号、豊肥本線)は整っており、阿蘇駅付近、国道沿いに住宅が増えつつある。そのなかで内牧地区は、温泉街として阿蘇観光の基地的役割をいまなお担っている。周辺の火口原部では、水田裏作のほか、野菜栽培が本格化している。また、火山灰土壌に覆われた斜面部では「肥後の赤牛」の飼育が盛んである。昭和初期まで舞われていた「阿蘇の虎舞(とらまい)」(県指定無形民俗文化財)は、農村阿蘇の豊年祝いの舞である。

[山口守人]

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改訂新版 世界大百科事典 「阿蘇」の意味・わかりやすい解説

阿蘇[市] (あそ)

熊本県北東部の市。2005年2月阿蘇町,一の宮(いちのみや)町と波野(なみの)村が合体して成立した。人口2万8444(2010)。

阿蘇市西部の旧町。旧阿蘇郡所属。1954年内牧町と黒川,永水,尾ヶ石,山田の4村が合体,改称。人口1万8667(2000)。北は阿蘇山の外輪壁に囲まれ,南に中央火口丘がそびえ,外輪山の一角大観峰からの眺望がすぐれ,全域が阿蘇国立公園に属する。中心の内牧は天正初年,阿蘇氏の一家臣が内牧城を築いたころから町を形成,その後江戸時代に熊本,大分鶴崎を結ぶ参勤交代路である豊後街道の宿場町となり,城の本丸跡に藩主の使うお茶屋,近くにお客屋,郡の政庁郡代も置かれた。内牧温泉は1898年に湧出,1918年豊肥本線,57年阿蘇有料登山道路の開通に伴い,旅館,ホテル,保養所などのほか,ゴルフ場もでき,県下一の温泉休養地となった。セッコウ泉,40~55℃。農村では和牛と米を柱に,タカナ漬,トウモロコシ,トマトなどを産し,囃子と踊りの虎舞,古代からの火焚(ひたき)神事が伝わり,阿蘇山麓の坊中,阿蘇信仰にゆかりある西巌殿寺に後奈良天皇の宸筆(重要文化財)をはじめ,多くの文化財がある。
執筆者:

阿蘇市中部の旧町。旧阿蘇郡所属。1954年宮地町,中通村,古城村,坂梨村が合体,改称。人口1万0054(2000)。町名は宮地にある肥後国一宮阿蘇神社にちなむ。阿蘇火山の北東部を占め,北部から東部にかけては阿蘇外輪山,南部には高岳,根子岳など中央火口丘の一部があり,中央部には阿蘇谷東部の平たん地が開ける。宮地は中世まで阿蘇神社大宮司家阿蘇氏の本拠地で,同氏は南北朝~戦国期にかけて武士団の長となり,肥後に勢力をふるった。現在は阿蘇観光の東の玄関口になっている。坂梨は近世は豊後街道の宿場町であった。農業が基幹産業で平たん地では米作,外輪山と山麓の牧野では阿蘇赤牛の肥育,山間地では林業が行われる。全域が阿蘇国立公園に属し,県最大の長目塚古墳をはじめとする古墳群,手野の国造(こくぞう)神社など名所旧跡が多い。JR豊肥本線,九州横断道路(やまなみハイウェー,1994年無料解放)が通じる。

阿蘇市東部の旧村。旧阿蘇郡所属。人口1736(2000)。阿蘇外輪山の東斜面に位置し,標高700~800mの起伏のゆるやかな波野高原が広がる。豊肥本線,国道57号線が通じる。キャベツを主とする高原野菜の栽培と肉牛飼育が盛んで,杉の良材も産する。高原はキャンプや春のワラビ採りでにぎわう行楽地で,九州で一番高い駅(754m)の波野駅付近にはスズランの自生地もみられる。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「阿蘇」の意味・わかりやすい解説

阿蘇
あそ

熊本県北東部,阿蘇市西部の旧町域。阿蘇山の北西部にあり,阿蘇谷の西半とその外輪山地域を占める。 1954年内牧町と黒川村,永水村,尾ヶ石村,山田村の4村が合体して阿蘇町が発足。 2005年一の宮町,波野村と合体し阿蘇市となる。中心地区の内牧は中世には内牧城の城下町,江戸時代には豊後街道の宿場町として発達。阿蘇地域第1の温泉郷 (→阿蘇温泉 ) 。産業は農業が主で,米作と畜産が行なわれるが,観光収益も大きい。大観峰 (遠見ヶ鼻) からの阿蘇五岳の眺望は雄大。東部の坊中は阿蘇登山の基地。ほぼ全域が阿蘇くじゅう国立公園に属する。阿蘇の農耕祭事は国の重要無形民俗文化財。

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知恵蔵mini 「阿蘇」の解説

阿蘇

九州の中央部、熊本県阿蘇市にある阿蘇山を含む地域のこと。「阿蘇山」という単体の山はないが、学術的にはこれらの外輪山まで含めて「阿蘇火山」と呼ばれている。阿蘇カルデラは東西約18キロメートル、南北約25キロメートル、面積約350平方キロメートルと、世界最大級の規模を誇る。カルデラの中央部には、現在も噴煙を上げ続ける中岳を始めとする阿蘇五岳(高岳、根子岳、杵島岳、烏帽子岳)を始め多くの山体で構成される火山群「中央火口丘」がある。火山群の南北の麓には平坦なカルデラの底地が広がり、火山群と平地を取り巻く輪っか状の山「外輪山」があり、その外側にはなだらかな火砕流の大地を形成している。阿蘇地域は、国立公園が誕生した1934年に「阿蘇国立公園」として指定を受け、86年に名称が現在の「阿蘇くじゅう国立公園」となった。2014年9月23日、世界ジオパーク(世界的に貴重な地形や地質が残る自然公園のこと)ネットワークは、カナダの世界ジオパーク「ストーンハンマー」で開催中の国際大会で、阿蘇を世界ジオパークに認定した。国内では7例目。

(2014-9-25)

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百科事典マイペディア 「阿蘇」の意味・わかりやすい解説

阿蘇[町]【あそ】

熊本県北東部,阿蘇郡の旧町。阿蘇火山北西部を占め,中央に豊肥本線が通じる火口原(阿蘇谷)が広がる。阿蘇くじゅう国立公園に属し,中心は黒川に臨む阿蘇内牧(うちのまき)温泉(セッコウ泉,40〜55℃)の温泉集落内牧。米作,蔬菜・花卉(かき)栽培を行うほか,肉牛・乳牛などの畜産も盛ん。2005年2月阿蘇郡一の宮町,波野村と合併し市制,阿蘇市となる。199.36km2。1万8714人(2003)。→阿蘇山

阿蘇[市]【あそ】

熊本県北東部の市。阿蘇山の北麓を占め,市域の大半が阿蘇くじゅう国立公園に属している。2005年2月阿蘇郡一の宮町,阿蘇町,波野村が合併し市制。JR豊肥線,国道57号線が通じる。376.30km2。2万8444人(2010)。

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デジタル大辞泉プラス 「阿蘇」の解説

阿蘇

熊本県阿蘇市にある道の駅。国道57号に沿う。

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世界大百科事典(旧版)内の阿蘇の言及

【阿蘇内牧[温泉]】より

…熊本県北東部,阿蘇郡阿蘇町にある温泉。内牧温泉,阿蘇温泉ともいう。…

※「阿蘇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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