日本歴史地名大系 「旧別子」の解説
旧別子
きゆうべつし
別子銅山の別子山村側の中心地域。
足谷山は銅山山ともよばれるようになり、そのうち銅山越のすぐ南側が
おもな
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
別子銅山の別子山村側の中心地域。
足谷山は銅山山ともよばれるようになり、そのうち銅山越のすぐ南側が
おもな
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…江戸前期,泉屋(住友家)によって別子銅山が開かれると鉱山町として発展,明治期後半には人口1万2400余に及んだ。大正期には銅山の中心が西の現新居浜市域に移り,それまで中心であった地域は旧別子と呼ばれるようになった。旧別子と新居浜市側を結ぶ銅山越え一帯は銅山峰と称され,ハイキングコースとなっている。…
※「旧別子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...