日本歴史地名大系 「銅山越」の解説 銅山越どうざんごえ 愛媛県:新居浜市立川山村銅山越[現在地名]新居浜市立川山新居浜市と宇摩(うま)郡別子山(べつしやま)村との境界をなす標高一二九一メートルの峠(別子峠ともいう、銅山峰の鞍部)。峰の地下には豊富な銅鉱脈が埋蔵されていて、峰を挟んで北斜面に寛永(一六二四―四四)頃開坑の立川(たつかわ)銅山、南斜面に元禄四年(一六九一)開坑の別子銅山があった。立川銅山は宝永元年(一七〇四)から幕府領となり、寛延二年(一七四九)から別子銅山とともに、住友家の一手請負経営となった。以後、別子から峰越で立川谷を下る道は、銅山道として別子産銅や銅山労務者の生活必需品など、銅山物資輸送の大動脈となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報