日本歴史地名大系 「旧麗沢舎」の解説 旧麗沢舎きゆうれいたくしや 三重県:阿山郡伊賀町上柘植村旧麗沢舎[現在地名]伊賀町柘植町大和街道に面し、都美恵(つみえ)神社入口の右角にあり、江戸時代の心学道場の一。県指定史跡。寛政四年(一七九二)上柘植(かみつげ)村の心学道場の世話人であり、また講師をも勤めた都講の富山采一、同村の松尾半次、柏野(かしわの)村の山本六太夫、波敷野(はじきの)村(現阿山町)の稲垣幸蔵が京都の明倫(めいりん)舎三世舎主の上河淇水を迎えて開いたと伝えられる。しかし同元年に書かれた諸国舎号(上野市沖森直三郎氏蔵)に伊賀国の心学道場として有誠(ゆうせい)舎(跡地は現上野市)とともに麗沢舎の名がみえるから、それ以前に開かれていたと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by