日本歴史地名大系 「上柘植村」の解説
上柘植村
かみつげむら
萩野に至りて、暫く駕を停めて進食す。積殖の山口に到りて、高市皇子、鹿深より越えて遇へり。(中略)大山を越えて、伊勢の鈴鹿に至る」と記す。
天平一九年(七四七)の大安寺伽藍縁起并流記資財帳(奈良市正暦寺蔵)には「伊賀国弐拾町 阿拝郡柘殖原 四至東山、南路、西百姓熟田、北山(中略)伊賀国二処 伊賀郡太山蘇麻庄一処、阿閇郡柘殖庄一処」とあり、大安寺(現奈良市)領の墾田二〇町および柘殖庄一ヵ所の大部分は当村域にあったと考えられる。東大寺は天平宝字二年(七五八)市原王から
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報