早川弥五左衛門(読み)はやかわ・やござえもん

朝日日本歴史人物事典 「早川弥五左衛門」の解説

早川弥五左衛門

没年:明治16.11.16(1883)
生年:文政2(1819)
幕末越前(福井県)大野藩士。名は武英,字は文雄,号は寛斎。嘉永4(1851)年内山隆佐後任として西潟5000石の代官となる。安政3(1856)年の探索以降,大野藩の蝦夷地関係の事務を内山と共に行う。安政5年以降,大野藩の樺太開拓の中心となる。文久3(1863)年,日露争点となったトコンペ事件を処理。翌年樺太開拓などの功により目付,北蝦夷地事務総督代理に就任。明治維新の際,精英技隊頭取となる。明治3(1870)年に開拓使権参事となるが翌年辞任し,北海道への移住を企図するが失敗,教員となる。

(麓慎一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「早川弥五左衛門」の解説

早川弥五左衛門 はやかわ-やござえもん

1819-1883 幕末-明治時代の探検家。
文政2年生まれ。越前(えちぜん)(福井県)大野藩士。安政3年(1856)藩命により内山隆佐(たかすけ)の蝦夷(えぞ)地探検に随行し,さらに翌年樺太(からふと)にわたり7年間屯田をこころみた。明治3年樺太開拓使権(ごんの)参事。明治16年11月16日死去。65歳。名は武英。字(あざな)は文雄。号は寛斎,釣叟。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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