レオパルディ(読み)れおぱるでぃ(英語表記)Giacomo Leopardi

日本大百科全書(ニッポニカ) 「レオパルディ」の意味・わかりやすい解説

レオパルディ
れおぱるでぃ
Giacomo Leopardi
(1798―1837)

イタリアの詩人。アドリア海を遠くに望み見る丘陵地帯の町マルケ州レカナーティに、6月29日、伯爵家の長男として生まれ、保守性の強い環境に育った。幼いころから聖職者の家庭教師について学んでいたが、14歳のときには、もはや教師を必要とせず、古色蒼然(そうぜん)たる父親の書斎に引きこもり、豊富な蔵書に埋もれながら、もっぱら古典文献の研究に没頭した。このころの関心は、文学よりもむしろ該博な知識を身につけることへの喜びに向けられていて、『天文学史』(1813)や『古代人に流布した誤謬(ごびゅう)について』(1815)などの論文に結実した。17歳のときには、英・仏・独の近代語はもちろん、ギリシア語、ラテン語、ヘブライ語を独学で習得していた。この時期(1808~16ころ)の「気違いじみた必死の勉強」によって、膨大な知識を身につけはしたが、陽光のあまり入らない部屋の中で生活していたために発育不全となり、身長が伸びずにくる病となって健康を著しく害し、夭折(ようせつ)を決定的に用意してしまった。当時、すでに試みていた、ヘシオドスの翻訳や、モスコスの牧歌の訳出、また『オデュッセイア』や『アエネイス』の部分訳などは、彼の端正で古典的な文体を生み出すもとになった。そして1815~16年、言語にまつわる美に目覚め、そのときの宗教的な体験から、むしろそれまでの自分の知識を振り捨てるようにして、詩の世界へと踏み込んでいった。

 けれども、彼の詩才に対する両親の無理解と屈辱的な経済援助とから、詩への厭世(えんせい)観は募っていった。加えて、21歳のとき眼病にかかって読書の道を絶たれるなど、不幸は次々に襲いかかってきた。しばしば、世界最高の厭世詩人とよばれるように、彼の詩は暗澹(あんたん)たるペシミズムに塗り込められているが、その悲哀は個人的な感情を超えて、世界そのものを悲しみのなかに描き出している。それは「死に近づく賛歌」(1816)に始まり、「無窮」(1819)、「孤独の雀(すずめ)」(1829)などを経て、死の2時間前に書かれたという「月は傾く」(1837)に至るまでの詩編に書き込まれている。散文作品としては、26の短編からなる『教訓的小話集』(1826)、また生誕100年を記念して出版された膨大な手記『随想集』七巻(1898~1900)がある。後者は15年間にわたる詩人の読書と、回想と、自己の魂との対話とを書き留めたもので、彼を19世紀最大の思想家たらしめている。また前者の詩や散文が、ロマン主義文学最大の遺産として、いや、ロマン主義の枠を踏み超え、ダンテペトラルカタッソに続く、大詩人レオパルディとして、後世のイタリア文学に与えた影響は甚だ大きい。

 1822年に、ようやく父親に許されて、詩人は桎梏(しっこく)の故郷レカナーティを離れることができた。その後はローマ、ミラノボローニャフィレンツェピサなどを転々としたが、安住の地を得ることはなかった。ただ晩年ナポリの亡命者アントーニオ・ラニエーリと知り合い、真の友情を得て、その妹パオリーナの献身的な看病を受け、37年の6月14日、ナポリで没した。主要作品は詩集カンティ』(初版1831、再版決定版1835)に収める。

 なお、日本文学にもっとも早くレオパルディの名前を知らせたものの一つに、夏目漱石(そうせき)の『虞美人草(ぐびじんそう)』のなかの言及がある。

[河島英昭]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レオパルディ」の意味・わかりやすい解説

レオパルディ
Leopardi, Giacomo

[生]1798.6.29. レカナーティ
[没]1837.6.14. ナポリ
イタリアの詩人。教皇領に属するマルケ州の寒村に生れ,閉鎖的で孤独な少年期を過した。 1822年ローマに出,次いで 25~26年ミラノ,ボローニャに,27~28年フィレンツェに住み,「リソルジメント」 Risorgimento (1828) ,「シルビアに」A Silvia (28) などの詩篇を生んだ。その後,ファニー・タルジョーニ・トッツェッティとの恋愛体験 (30~33) を「去りやらぬ思い」 Il pensiero dominante,「愛と死」 Amore e morte,「アスパシア」 Aspasiaなどの詩篇に結実させたが,39歳で病に倒れた。主著は抒情詩集『カンティ』 Canti (31) ,15年にわたる読書と追憶とさまざまな主題をめぐる思索の集大成『随想集』 Zibaldone (7巻,17~32執筆,98~1900刊) ,不幸の哲学と自然の断罪に満ちた『教訓的小話集』 Operette morali (1827) 。

レオパルディ
Leopardi, Alessandro

[生]? ベネチア
[没]1522/1523. ベネチア
イタリアの彫刻家,建築家。主として青銅の鋳造師として知られた。 1487年にフェララに行ったが,翌年ベロッキオの死によりベネチアに呼戻され,完成途上の『コレオーニ将軍騎馬像』の鋳造と台座を受持った。 1501~05年にはサン・マルコ広場の青銅の旗掲揚台を制作。 21年または 22年にはパドバのサンタ・ジュスティナ聖堂の建築にたずさわった。

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