橋本宗吉(読み)はしもとそうきち

日本大百科全書(ニッポニカ)「橋本宗吉」の解説

橋本宗吉
はしもとそうきち
(1763―1836)

蘭学(らんがく)者。幼名を直政、のちに鄭(てい)と改め、宗吉は通称で、字(あざな)を伯敏、伯軒、絲漢(しかん)堂、曇斎(どんさい)などと号した。幼少のころ阿波(あわ)(徳島県)から大坂に移住し、傘の紋かきの仕事に従事していたが、エレキテルなどの奇器にも非常な興味をもっていた。間重富(はざましげとみ)と小石元俊(こいしげんしゅん)に才能をみいだされ、その援助で28歳のころ江戸に出て、大槻玄沢(おおつきげんたく)の蘭学塾「芝蘭(しらん)堂」で学んだ。帰坂後は、間や小石のために医学・天文・地理書などの翻訳をした。初めは北堀江(現、大阪市西区)に住んでいたが、安堂寺町(現、中央区)に移り、文政(ぶんせい)(1818~1830)の初めころには車町(現、南区塩町)に住み、塾を開いて絲漢堂と称し、蘭学を教え、一方、医師として医業にも携わった。1827年(文政10)切支丹婆(キリシタンばばあ)事件が起こり、弟子の藤田顕蔵(ふじたけんぞう)(1770/1781―1829)がこれに関連して捕らえられたため、宗吉は一時、芸州竹原(広島県竹原市)に逃れたといわれる。このころからしだいに不遇となり、天保(てんぽう)7年5月1日74歳で没。墓は竹原市上本町の念仏寺にある。

 大坂蘭学の開祖といわれ、弟子に伏屋素狄(ふせやそてき)、大矢尚斎(おおやしょうさい)(1765―1826)、各務文献(かがみぶんけん)(1755―1819)、藤田顕蔵、斎藤方策(さいとうほうさく)(1771―1849)、中天游(なかてんゆう)などがいる。著書や訳書も多い。1796年(寛政8)『喎蘭(オランダ)新訳地球全図』をつくり、『蘭科内外三法方典』(1805刊)を翻訳、1819年(文政2)には『西洋医事集成宝函』(巻1~6は1819~1823刊、以下30巻まで未刊)を編んでいる。オランダのボイスVoyceの本などを基に『エレキテル訳説』を書き、さらに『阿蘭陀(オランダ)始制エレキテル究理原』(1811)を著している。『エレキテル究理原』は出版はされなかったが、日本で初めてのエレキテル実験書として著名である。

[菊池俊彦]

『『日本科学古典全書 第6巻』(1943/復刻版・1978・朝日新聞社)』『『江戸科学古典叢書11 エレキテル全書他』(1978・恒和出版)』『『江戸科学古典叢書26 三法方典』(1979・恒和出版)』

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旺文社日本史事典 三訂版「橋本宗吉」の解説

橋本宗吉
はしもとそうきち

1763〜1836
江戸後期の蘭学者
大坂の人。号は曇斎 (どんさい) 。大槻玄沢に医学蘭学を学び,大坂で医を開業し,オランダ医書の翻訳語学を教授した。「エレキテル」を実験し,日本における電気学の先駆者となった。

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百科事典マイペディア「橋本宗吉」の解説

橋本宗吉【はしもとそうきち】

蘭学者,物理学者。阿波に生まれ,幼いころ父と大坂に出て傘(かさ)師となるが,間重富小石元俊に才能を認められ28歳のとき江戸へ出て大槻玄沢に蘭学を学んだ。1795年から大坂で医業に従事するかたわら蘭学を教授,また重富や元俊のため天文地理・医学書などを翻訳。1811年蘭書に基づいて《阿蘭陀(オランダ)始制エレキテル究理原》を書き,エレキテル(静電起電機)の構造・製作法,良導体不良導体の区別,百人嚇(おどし)(ライデン瓶(びん)),フランクリンの実験等を記述,本格的な静電気の研究を始めた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「橋本宗吉」の解説

橋本宗吉
はしもとそうきち

[生]明和1(1763)
[没]天保7(1836).5.1. 大坂
江戸時代後期の蘭学者。名は直政,のちに鄭。字は伯敏,号は曇斎,伯軒。大坂で傘の紋書き職人をしていたが,奇才を見込まれて小石元俊,間長涯の助力で寛政2 (1790) 年に大槻玄沢に入門。帰坂後は蘭学塾絲漢堂を開き,大坂の蘭学の開祖となった。訳書に『か蘭新訳地球全図』『内外三法方典』『ショメール奇方』『トーマス解体書』『エレキテル究理原』などがある。また,自分で摩擦起電機を製作し,実験を公開した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus「橋本宗吉」の解説

橋本宗吉 はしもと-そうきち

1763-1836 江戸時代後期の蘭学者。
宝暦13年生まれ。江戸で大槻玄沢(おおつき-げんたく)にまなび,大坂で蘭方医となる。医学・天文・地理書を翻訳し,大坂蘭学の基礎をきずいた。天保(てんぽう)7年5月1日死去。74歳。阿波(あわ)(徳島県)出身。名は直,。字(あざな)は伯敏。号は曇斎,糸漢堂。著作に「阿蘭陀(オランダ)始制エレキテル究理原」など。

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デジタル大辞泉「橋本宗吉」の解説

はしもと‐そうきち【橋本宗吉】

[1763~1836]江戸後期の蘭学者。大坂の人。名は鄭。字(あざな)は伯敏。号、曇斎。大槻玄沢に医学・蘭学を学び、蘭書の翻訳と語学教授に当たった。エレキテル(電気)の実験を行い、「阿蘭陀始制エレキテル究理原」などを著した。

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精選版 日本国語大辞典「橋本宗吉」の解説

はしもと‐そうきち【橋本宗吉】

江戸後期の蘭学者。大坂の人。名は鄭、号は曇斎、字(あざな)は伯敏。宗吉は通称。大坂で医学、蘭学の塾を開き、日本で最初に電気学を研究した。著「阿蘭陀始制エレキテル究理原」。宝暦一三~天保七年(一七六三‐一八三六

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世界大百科事典内の橋本宗吉の言及

【エレキテル】より

…18世紀前半のヨーロッパで摩擦起電機やライデン瓶が発明され,電気ショックで人をおどろかせる見世物や遊び道具として人気を得たが,この知識が日本にもたらされ,後藤梨春(1702‐71)が《紅毛談(オランダばなし)》(1765)にはじめてエレキテルを紹介し,平賀源内は1776年(安永5)にはじめて蓄電器つきの摩擦起電機をつくった。以後,森島中良(1756‐1810),高森観好(1750‐1830),橋本宗吉(1763‐1836)などもつくっている。橋本宗吉稿の《阿蘭陀始制エレキテル究理原》(1881)は,それに付した実験の絵とともに有名である。…

【地図】より

…同じ時期オランダ舶載の地球儀や地図の翻訳も始まり,1737年(元文2)ころ長崎の天文学者北島見信と通詞西善三郎とが協力してファルク作地球儀から展開した世界図(大阪府立中之島図書館蔵)を作っている。刊行された初期の蘭学系世界図としては,1792年(寛政4)の司馬江漢の作品(銅版),96年の橋本宗吉の作品(木版)がよく知られている。蘭学系世界図の大きな特色は,東西両半球をそれぞれ円形として描く点であった。…

※「橋本宗吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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