春日宅成(読み)かすがのやかなり

朝日日本歴史人物事典 「春日宅成」の解説

春日宅成

生年生没年不詳
平安前期の官人。貞観1(859)年2月,同3年1月,同14年1月,元慶1(877)年2月,同年6月にそれぞれ渤海通事に任命されており,語学面での活躍が目立つ。「昔大唐に往くに,多く珍宝をみる」(『三代実録』)と語っているように,入唐したことが知られ,円仁の『入唐求法巡礼行記』所出の,新羅人から船を買って帰国しようと算段した「春太(大とも)郎」,あるいは貞観5年1月,唐人陳泰信の円珍あて書状にみえる「播州少目春太郎」は,春日太郎の唐風呼称でいずれも宅成のことと考えられている。春太郎には宗健という子がおり,中国人と交渉を持っていたことも知られる。元慶2年,大隅守となる。<参考文献>小野勝年『入唐求法巡礼行記の研究

(瀧浪貞子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「春日宅成」の解説

春日宅成 かすがの-やかなり

?-? 平安時代前期の官吏
天安3年(859)から5度渤海(ぼっかい)通事に任命され,その間唐(中国)にもわたる。園池正(そのいけのかみ)などをへて元慶(がんぎょう)2年大隅守(おおすみのかみ)となった。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android