日本歴史地名大系 「春花村」の解説 春花村はるけむら 鹿児島県:姶良郡姶良町春花村[現在地名]姶良町船津(ふなつ)南東流する蒲生(かもう)川の右岸沿いに位置し、南は船津村。対岸は帖佐(ちようさ)郷長瀬(ながせ)村など。中世には春毛とみえる。春華村とも記される(天保郷帳)。江戸時代は初め帖佐郷に属したが、元文三年(一七三八)の重富(しげとみ)郷創設の際に同郷所属となった。弘安年間(一二七八―八八)頃の守公神侍畳図写(調所氏家譜)によると、「春毛」が小畳三帖を負担している。鎌倉時代後期の山城石清水(いわしみず)八幡宮との関係は餅田(もちだ)村と同じ。永享八年(一四三六)伊集院衆が平山(ひらやま)城を攻めた時、「帖佐春毛ノ村」で荒田宗貞父子が討死している(天保元年「帖佐来歴」姶良町歴史民俗資料館蔵)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by