姶良町(読み)あいらちよう

日本歴史地名大系 「姶良町」の解説

姶良町
あいらちよう

面積:一〇三・三〇平方キロ

姶良郡の南西部に位置し、東は加治木(かじき)町・溝辺(みぞべ)町、北は横川(よこがわ)町、薩摩郡答院(けどういん)町、西は蒲生(かもう)町、鹿児島郡吉田(よしだ)町、南は鹿児島市と鹿児島湾に接する。町域は別府(べつぷ)川とその支流山田(やまだ)川に沿って南北に細長く、南部の平地は別府川と思(おもい)川が姶良カルデラ壁を崩した沖積平野である。海岸沿いをJR日豊本線と国道一〇号が走り、町域南部を走る九州自動車道には姶良インターチェンジがある。なお狭義の別府川は山田川と蒲生川の合流点より下流の呼称となっているが、「三国名勝図会」は別府川および蒲生川を上別府川と記している。

遺跡はシラス台地から海側に延びた先端部や、別府川・思川流域の微高地などに立地している。縄文時代では鍋谷(なべたに)遺跡から早期の土器が、稲荷橋(いなりばし)遺跡から前期・後期・晩期の土器が、南宮島(みなみみやじま)遺跡では中期・後期の土器が出土。鍋倉(なべくら)遺跡は洞穴遺跡で、後期の土器が出土している。弥生時代では保養院(ほよういん)遺跡から後期の土器が出土し、ほかに船津(ふなつ)遺跡が知られる。萩原(はぎはら)遺跡では弥生後期から古墳時代にかけての住居跡が多数確認されており、土器も多量に出土。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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