春賀村
はるかむら
[現在地名]大洲市春賀
天保郷帳に「春ケ村」と記載されている。肱川が大洲盆地から出て、北西方向に流れ始める北岸の氾濫原上の村。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の喜多郡の項に「春ケ村 日損所、水損所、茅山有、川有」とあり、村高一千石を超える大村で、近隣村と異なり田高が畑高より多い。大洲藩領。
元文五年(一七四〇)の「大洲秘録」には、「米下・大豆上・麦・真綿・茶」の土産があり、土地は「場所により善悪有と雖どもよろしき所多し」、民家は「貧窮之者少し、間々富家有り」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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