精選版 日本国語大辞典 「昭王」の意味・読み・例文・類語 しょう‐おうセウワウ【昭王】 [ 一 ] 中国、周第四代の王、姫瑕(きか)をいう(在位前一一〇二‐前一〇五二)。諡(おくりな)は昭。康王の子。漢水を渡るとき、だまされて膠(にかわ)ではりつけた船に乗せられ、中流で船がとけ溺死した。紀元前一〇五二年没。[ 二 ] 中国、春秋時代の楚の王、珍(みちん)をいう(在位前五一五‐前四九三)。平王の子。呉王闔閭の攻伐に敗れて隋に出奔したが、翌年秦の助けを得て呉を破った。生没年不詳。[ 三 ] 中国、戦国魏の王、姫(きちょく)をいう。哀王の子。秦将白起のために大軍二四万を破られたが、のち、秦・趙・韓・燕と連合して斉を討った。生没年不詳。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「昭王」の意味・わかりやすい解説 昭王しょうおうZhao-wang; Chao-wang 中国,西周第4代の王。康王の子。名は瑕 (か) 。『史記』などによれば,このとき王道が衰微し,昭王が南方に巡狩した際,揚子江上で死んだとされる。また王を憎んだ者がにかわ張りの船に乗せて,蔡侯とともに漢水で溺死せしめたという伝説もある。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の昭王の言及 【遠交近攻】より …中国,戦国末の秦の外交政策。魏の人范雎(はんしよ)が考案し,秦の昭王(在位,前307‐前251)に進言したもの。秦にとって斉のような遠い国とは友好関係を結び,魏など近隣の国からまず攻撃を加え,近隣の国を下して漸次遠国を征服するという,いわば外交・軍事両面併用の策である。… ※「昭王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by