普門暁(読み)フモン ギョウ

20世紀日本人名事典 「普門暁」の解説

普門 暁
フモン ギョウ

大正・昭和期の洋画家



生年
明治29(1896)年8月15日

没年
昭和47(1972)年9月28日

出生地
奈良市北市町

出身地
東京

学歴〔年〕
東京高工〔大正5年〕中退,川端画学校

経歴
大正5年第1回個展を開催、石井柏亭に認められ、7年二科展に水彩画で初入選。太平洋画会展にも未来派風の作品を出品。9年二科展に彫刻落選となり、未来派美術協会を創立。同年ロシア未来派展に助力し、ブルリュークを紹介するなど、日本の前衛美術の先駆として活動。昭和2年産業美術研究所を設立、未来派美術を生活美術に取り入れることを提唱。12〜18年日本大学美術科で教え、21年GHQの美術顧問としてアメリカへの日本美術の紹介に尽力。35年病を得て帰郷、40年当麻寺奥院に「倶利伽羅龍幻想」を描いた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「普門暁」の解説

普門暁 ふもん-ぎょう

1896-1972 大正-昭和時代の洋画家。
明治29年8月15日生まれ。川端画学校にまなぶ。大正7年二科展に初入選。9年未来派美術協会を結成,前衛美術運動をすすめた。昭和21年GHQの美術顧問となり,アメリカへの日本美術紹介につとめる。昭和47年9月28日死去。76歳。奈良県出身。東京高工(現東京工業大)中退。本名は常一。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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