有栖川宮熾仁(読み)アリスガワノミヤ タルヒト

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「有栖川宮熾仁」の解説

有栖川宮 熾仁
アリスガワノミヤ タルヒト


肩書
元老院議長,有栖川宮第9代,左大臣

別名
幼名=歓宮(ヨミノミヤ) 別称=熾仁親王(タルヒトシンノウ)

生年月日
天保6年2月19日(1835年)

出生地
京都府

経歴
有栖川宮幟仁親王の長子。嘉永2年(1849年)親王宣下。4年(1851年)和宮親子内親王との婚約の内旨を受けるが、万延元年(1860年)朝廷幕府の要請を容れて和宮と将軍徳川家茂の婚姻を内定したため、成婚辞退の願出を差し出した。公武合体論の盛んな元治元年(1864年)、尊攘運動支持のかどで国事御用掛を免ぜられた。慶応3年(1867年)王政復古政変によって新政府の総裁職。以後、皇族第一人者として公務を担当。戊辰戦争には東征大総督として参加。明治維新後は、兵部卿、福岡藩知事を経て、明治8年元老院議官、翌年議長に就任。西南戦争においては征討総督。13年左大臣となり、18年参謀本部長、22年参謀総長を兼任。藩閥勢力の中核となり、重要な役割を果たした。「熾仁親王日記」がある。

没年月日
明治28年1月15日

家族
妻=有栖川宮 董子 父=有栖川宮 幟仁 弟=有栖川宮 威仁

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

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