熾仁親王(読み)タルヒトシンノウ

デジタル大辞泉 「熾仁親王」の意味・読み・例文・類語

たるひと‐しんのう〔‐シンワウ〕【熾仁親王】

有栖川宮熾仁親王ありすがわのみやたるひとしんのう

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精選版 日本国語大辞典 「熾仁親王」の意味・読み・例文・類語

たるひと‐しんのう‥シンワウ【熾仁親王】

  1. ありすがわのみやたるひとしんのう(有栖川宮熾仁親王)

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改訂新版 世界大百科事典 「熾仁親王」の意味・わかりやすい解説

熾仁親王 (たるひとしんのう)
生没年:1835-95(天保6-明治28)

幕末・明治前期の皇族。父は有栖川宮幟仁(たかひと)親王。仁孝天皇猶子となり大宰帥,三品に任叙孝明天皇の皇妹和宮(かずのみや)と結婚の予定であったが,和宮の将軍徳川家茂への降嫁のため解消。幕末には尊攘派に擁立されて国事御用掛を務めたが,1864年(元治1)禁門の変の後,謹慎の処分をうけた。王政復古後,新政府の総裁職に任命され,また戊辰戦争では東征大総督として討幕軍の最高指揮者となる。その後,福岡藩知事(ついで県令),元老院議官,議長などを歴任。77年西南戦争が起こると征討総督となり,陸海軍を指揮した。戦争後,陸軍大将に任官,82年ヨーロッパ各国を巡遊。帰朝後,参謀本部長,近衛都督参謀総長を歴任する。創設期の陸軍の代表的人物であると同時に,皇族として軍事統帥権を掌握する天皇の代理人の役割を果たす。日清戦争のさなかに病没した。《熾仁親王日記》がある。
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百科事典マイペディア 「熾仁親王」の意味・わかりやすい解説

熾仁親王【たるひとしんのう】

幕末〜明治前期の皇族。有栖川宮(ありすがわのみや)家9世。幕末には尊攘(そんじょう)派に擁立されて国事御用掛を務める。王政復古後は新政府の総裁職に就き,戊辰戦争では東征軍大総督として鳥羽・伏見の戦などに出陣。西南戦争に征討総督として陸海軍を指揮し,戦争後に陸軍大将に任官。日清戦争に参謀総長として臨むが,戦争のさなか病没。
→関連項目和宮

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「熾仁親王」の解説

熾仁親王 たるひとしんのう

有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみや-たるひとしんのう)

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367日誕生日大事典 「熾仁親王」の解説

熾仁親王 (たるひとしんのう)

生年月日:1835年2月19日
江戸時代;明治時代の皇族。参謀総長
1895年没

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旺文社日本史事典 三訂版 「熾仁親王」の解説

熾仁親王
たるひとしんのう

有栖川宮 (ありすがわのみや) 熾仁親王

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「熾仁親王」の意味・わかりやすい解説

熾仁親王
たるひとしんのう

有栖川宮熾仁親王

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