服寺(読み)はとりでら

日本歴史地名大系 「服寺」の解説

服寺
はとりでら

「西大寺田園目録」に「添上郡左京九条三坊四坪内二段字辰市丿南八鳥」とある八鳥はとりにあったとみられ、坪付は現西九条さいくじよう町の大和ハウス工業株式会社の工場敷地にあたるが、寺跡の確認はなされていない。「日本霊異記」中巻(第一四)に「聖武天皇の御世に(中略)一の窮しき女王有りて(中略)諾楽の左京の服部堂に至り、吉祥天女の像に対面して」とあり、聖武天皇の時に平城左京に服部堂のあったことがわかる。保延六年(一一四〇)の「七大寺巡礼私記」に、奈良興福寺西金堂の十一面観音像について同寺の僧寿広が拷門かも(同書では持間坂)の南、越田こしだ池の西の田中から掘出して安置したものとあり、「件像者行基菩薩之所造、服寺之像、(中略)件服寺ニハ但残座光、其座光霊験掲焉也」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む