日本歴史地名大系 「服寺」の解説 服寺はとりでら 奈良県:奈良市都南地区東九条村・西九条村服寺「西大寺田園目録」に「添上郡左京九条三坊四坪内二段字辰市丿南八鳥」とある八鳥(はとり)にあったとみられ、坪付は現西九条(さいくじよう)町の大和ハウス工業株式会社の工場敷地にあたるが、寺跡の確認はなされていない。「日本霊異記」中巻(第一四)に「聖武天皇の御世に(中略)一の窮しき女王有りて(中略)諾楽の左京の服部堂に至り、吉祥天女の像に対面して」とあり、聖武天皇の時に平城左京に服部堂のあったことがわかる。保延六年(一一四〇)の「七大寺巡礼私記」に、奈良興福寺西金堂の十一面観音像について同寺の僧寿広が拷門(かも)坂(同書では持間坂)の南、越田(こしだ)池の西の田中から掘出して安置したものとあり、「件像者行基菩薩之所造、服寺之像、(中略)件服寺ニハ但残座光、其座光霊験掲焉也」と記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by