望月軍四郎(読み)モチヅキ グンシロウ

20世紀日本人名事典 「望月軍四郎」の解説

望月 軍四郎
モチヅキ グンシロウ

大正・昭和期の実業家



生年
明治12(1879)年8月15日

没年
昭和15(1940)年2月1日

出生地
静岡県

経歴
高小2年まで学び、15歳で村上太三郎の入丸商店に入り、株式界に入った。日糖事件で活躍、明治43年独立しサシ丸望月商店を開業。大正8年望月商事社長に就任し、11年株式界を引退。13年田口銀行を買収頭取となったが、金融恐慌後撤退。昭和4年日清生命社長に就任、5年京浜電車会長。他に赤司初太郎と共同で東邦炭礦、台湾パルプ工業など多くの会社の要職を務めた。教育関係に熱心で、慶応義塾ほかに多額の寄付を行った篤志家でもあり、日満文化学会、大宮工業商業学校を創立した。武者小路実篤「望月軍四郎」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「望月軍四郎」の解説

望月軍四郎 もちづき-ぐんしろう

1879-1940 明治-昭和時代前期の実業家。
明治12年8月15日生まれ。上京して株式取引業界にはいり,明治43年サシ丸望月商店をひらく。のち田口銀行頭取,日清生命社長。静岡県に大宮工業学校(現富士宮北高),大宮商業学校を創立したほか,教育界に多額の寄付をした。昭和15年2月1日死去。62歳。静岡県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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