日本歴史地名大系 「朝国村」の解説
朝国村
あさくにむら
[現在地名]甲西町朝国
示として「あさ国のてんしんのもり」とみえ、康永二年(一三四三)三月二八日の岩根政所下知状(同文書)では岩根郷「重弘名田地荒野」と境を接していたことが知られる。永享三年(一四三一)一一月一四日の足利義教御教書案(同文書)では「岩根朝国」のうち「中下八田村」をめぐって
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
示として「あさ国のてんしんのもり」とみえ、康永二年(一三四三)三月二八日の岩根政所下知状(同文書)では岩根郷「重弘名田地荒野」と境を接していたことが知られる。永享三年(一四三一)一一月一四日の足利義教御教書案(同文書)では「岩根朝国」のうち「中下八田村」をめぐって
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その議会の過半数には達しないが、議席数をもっとも多くもつ政党。...