日本歴史地名大系 「八田村」の解説
八田村
はつたむら
- 山梨県:中巨摩郡
- 八田村
郡北東部にあり、北はほぼ東流する
八田村
はつたむら
八田村
はつたむら
八田村
はつたむら
- 大阪府:岸和田市
- 八田村
中世には八田庄があり、当地一帯に所在した庄園と考えられる。「葉黄記」宝治元年(一二四七)五月一日条によれば八田庄のことが院の評定で議されているが、内容は不明。下って正平二四年(一三六九)一一月五日の橋本正高遵行状(二見文書)に「和泉国八田荘内平井三郎左衛門入道成倉跡、所職名田畠等」とみえ、一一月二日の綸旨に任せて当所を二見遠江代官に沙汰付けするよう命じている。また同二五年二月二七日の橋本正高遵行状(観心寺文書)によれば「和泉国八田庄内利行富益名」を、二月二五日の御教書に任せて
八田村
はたむら
伊野村の南南東に
八田村
はつたむら
石和宿の北東二町ほどの地点に位置し、西流する笛吹川を境に北は山梨郡
八田村
やたむら
南部を
八田村
はつたむら
- 石川県:七尾市
- 八田村
八田村
はつたむら
八田村
はつたむら
八田村
はつたむら
八田村
はつたむら
- 石川県:松任市
- 八田村
八田中村の西に位置し、北西部は日本海に面する。
八田村
はつたむら
八田村
はつたむら
八田村
はつたむら
八田村
はつたむら
中世には丹後国田数帳に記す
慶長検地郷村帳に高五六五・〇六石「八田村」とみえ、享保三年(一七一八)の領中郷村高付でも同高で、「枝郷八戸地村」が記される。
八田村
はつたむら
八田村
はつたむら
太平山
正保四年(一六四七)の出羽一国絵図に、八田村九六二石とある。享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」に「八田村 五十三軒」とあり、支郷として元和二年(一六一六)開田で家数一四軒の木曾石村と、家数六軒の
八田村
はつたむら
八田村
はつたむら
八田村
やつだむら
八田村
はつたむら
八田村
はつたむら
八田村
はつたむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報