甲賀郡(読み)こうかぐん

日本歴史地名大系 「甲賀郡」の解説

甲賀郡
こうかぐん

面積:五二・〇六平方キロ
石部いしべ町・甲西こうせい町・信楽しがらき町・水口みなくち町・甲南こうなん町・甲賀こうか町・土山つちやま

県の南部に位置し、北は神崎郡・蒲生がもう郡・野洲やす郡、西は栗太くりた郡と大津市に接する。東から南にかけては旧伊勢・伊賀・山城三国との国境をなし、東は鈴鹿山脈南部の稜線を境に三重県三重郡・四日市市・鈴鹿市・亀山市・鈴鹿郡、南は同県阿山あやま郡・上野市、さらに京都府相楽そうらく郡・綴喜つづき郡に接する。近世の郡域とほぼ同じで現在に至る。東部は鈴鹿山脈、南部は信楽山地が占め、北部は水口丘陵が広がり野洲川が西流して谷沿いに沖積平野を形成する。野洲川流域を甲賀谷、その支流そま川流域を杣谷、大戸だいど(信楽川)流域を信楽谷と称する。古くは近江と伊賀・伊勢を結ぶ要所に位置し、また山城・大和との関係も深かった。野洲川に沿って東西にほぼ旧東海道にあたる国道一号が通り、また国道三〇七号が南北に縦断する。鉄道はJR草津線・近江鉄道・信楽高原鉄道が通じる。鈴鹿山脈は鈴鹿国定公園に含まれ、郡の南西部の山域には三上田上みかみたなかみ信楽県立自然公園が設定される。

〔原始〕

郡内の遺跡の調査例はあまり多くはない。最古の遺跡は甲賀町油日あぶらひの縄文遺跡で、早期の土器片や貯蔵穴が確認されている。ほかに水口町塚越つかごし古墳下層から晩期の土器が出土している。土山町山女原あけびはら遺跡は弥生時代中期の土器を出土。古墳時代に入ると中期から後期の古墳が散見され、とくに後期の古墳群が多い。中期では前方後円墳で粘土槨の主体部をもっていたと推定される石部町みやもり古墳があり、埴輪や鉄器類を出土した。中期から後期の古墳群で、唯一首長系譜がたどれるものとして水口町いずみ古墳群がある。同古墳群には前方後円墳である塚越古墳をはじめ、帆立貝式古墳である西罐子塚にしかんすづか古墳、三基の陪冢を有する円墳の東罐子塚古墳などがある。後期では郡内唯一の後期前方後円墳である甲賀町岩室塚穴いわむろつかあな古墳や横穴式木室墳を有する甲西町狐栗きつねぐり古墳群がある。甲西町三雲みくもの大型群集墳である園養山おんようざん(酒人山)古墳群は、対岸の泉古墳群とともに甲賀臣にかかわるものと思われる。ほかに石部町六反ろくたん古墳群、甲賀町小佐治こさじ古墳群・隠岐おき古墳群などが知られる。古墳時代の集落跡は現在のところ甲西町井戸いど遺跡が知られるにすぎないが、古墳群の分布から有力豪族が飯道はんどう山麓や野洲川南岸の丘陵地に住していたと推定され、甲賀臣や夏見忌寸らが考えられている。

〔古代〕

「和名抄」郷里部の第三番目に配され、同書高山寺本・東急本ともに老上おきかみ夏身なつみ山直やまなお蔵部くらぶの四郷をあげる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の甲賀郡の言及

【滋賀[県]】より

…また日本で第2の規模を誇る中央競馬会栗東トレーニングセンターがある。甲賀郡は丘陵と山地が多くを占め,甲賀流忍術の発祥地として知られているほか,信楽(しがらき)町の信楽焼,甲賀・甲南両町の製薬業などの地場産業に特色がある。(2)湖東地方 県の東部,彦根,近江八幡,八日市の3市を中心に蒲生,神崎,愛知,犬上の諸郡を含む。…

※「甲賀郡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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