日本歴史地名大系 「木ノ新保七番町」の解説 木ノ新保七番町きのしんぼしちばんちよう 石川県:金沢市金沢城下第六連区木ノ新保七番町[現在地名]金沢市此花町(このはなまち)・本町(ほんまち)二丁目・堀川町(ほりかわまち)・木(き)の新保(しんぽ)白髭前(しらひげまえ)から北へ続く通りを挟む両側町。通りの北に西へ向かい上安江(かみやすえ)村に入る小路があった。東の一部が木ノ新保町に接する以外、周りは上安江村に接する。江戸時代には武家地と足軽組地があり、明治二年(一八六九)木ノ新保七番町として町立てされた。延宝町絵図ではこの地一帯は一柳直興の縮所で、その北にさらに足軽組地があった。一柳直興は伊予西条藩主であったが、寛文五年(一六六五)不行跡を理由に改易除封となり、加賀藩御預の身となった(徳川実紀)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by