上安江村(読み)かみやすえむら

日本歴史地名大系 「上安江村」の解説

上安江村
かみやすえむら

[現在地名]金沢南安江町みなみやすえちよう堀川町ほりかわまち

浅野川の左岸に位置し、北西は下安江村、南東金沢城下新保しんほ町など。もとは広域の村であったが、近世初期金沢城下が拡大したため、西方に移転縮小し、村高も著しく減少したという。中世には一帯に安江庄(安江保)が成立。正保郷帳では高六〇石余、田方二町九反余・畑方一町一反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高六六石、免七ツ三歩(三箇国高物成帳)。寛文年間の家高数二・百姓数三(高免付給人帳)金沢町の油屋三人が鞍月くらつき用水を引込んで設けていた製油用水車の撤去を、万治四年(一六六一)北広岡きたひろおか村などとともに改作奉行に願出た同用水水下一三ヵ村の一つであった(国事雑抄)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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