朝日日本歴史人物事典 「木下俊長」の解説
木下俊長
生年:慶安1.12.1(1649.1.13)
江戸中期の大名。豊後国(大分県)日出藩の3代藩主。日出生まれ。父は俊治,母は安藤氏。豊臣秀吉の室北政所の兄の子孫。幼名千勝,のち主計,内蔵頭。寛文1(1661)年に3万石を襲封し,右衛門大夫。人見敬山に儒学を学び,文芸,武芸に長じた。また神仏尊崇の文治政治を行い,富永池など十余りの溜池築造による農業振興を図った。さらに七島藺の栽培による七島表を特産物とした。松の造林にも努め,のち横津神社に祀られた。3年領内の農民数千人が隣領杵築藩領へ逃散したことに責任を感じ出仕を遠慮。のち幕府の調査により出仕をはばかる理由がないとのことで遠慮は解かれた。宝永4(1707)年致仕。日出で死去。
(長谷川成一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報