木下俊長(読み)きのした・としなが

朝日日本歴史人物事典 「木下俊長」の解説

木下俊長

没年享保1.9.8(1716.10.22)
生年:慶安1.12.1(1649.1.13)
江戸中期大名。豊後国(大分県)日出藩の3代藩主。日出生まれ。父は俊治,母は安藤氏。豊臣秀吉の室北政所の兄の子孫。幼名千勝,のち主計,内蔵頭。寛文1(1661)年に3万石を襲封し,右衛門大夫。人見敬山に儒学を学び,文芸,武芸に長じた。また神仏尊崇の文治政治を行い,富永池など十余りの溜池築造による農業振興を図った。さらに七島藺の栽培による七島表を特産物とした。松の造林にも努め,のち横津神社に祀られた。3年領内の農民数千人が隣領杵築藩領へ逃散したことに責任を感じ出仕を遠慮。のち幕府の調査により出仕をはばかる理由がないとのことで遠慮は解かれた。宝永4(1707)年致仕。日出で死去。

(長谷川成一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木下俊長」の解説

木下俊長 きのした-としなが

1649*-1716 江戸時代前期-中期の大名。
慶安元年12月1日生まれ。木下俊治の子。寛文元年豊後(ぶんご)(大分県)日出(ひじ)藩主木下家3代。文芸,武芸に長じる。溜(た)め池など水利施設をひらき,七島藺(しちとうい)を栽培して七島表(おもて)を特産物とし,また松の造林にもつとめた。享保(きょうほう)元年9月8日死去。69歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「木下俊長」の解説

木下俊長 (きのしたとしなが)

生年月日:1648年12月1日
江戸時代前期;中期の大名
1716年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android