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木下俊長 きのした としなが

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美術人名辞典の解説

木下俊長

江戸中期の大名。豊後日出藩木下家第三代当主。幼名は千勝・主計、字は子通、号は大年・春風楼・豊大年・江北散人等。文教興隆・殖産興業に尽力し、日出中興の祖といわれる。自らも詩書を人見竹洞に、画を狩野常信に学んで能くした。享保元年(1716)歿、69才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

木下俊長 きのした-としなが

1649*-1716 江戸時代前期-中期の大名。
慶安元年12月1日生まれ。木下俊治の子。寛文元年豊後(ぶんご)(大分県)日出(ひじ)藩主木下家3代。文芸,武芸に長じる。溜(た)め池など水利施設をひらき,七島藺(しちとうい)を栽培して七島表(おもて)を特産物とし,また松の造林にもつとめた。享保(きょうほう)元年9月8日死去。69歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

木下俊長

没年:享保1.9.8(1716.10.22)
生年:慶安1.12.1(1649.1.13)
江戸中期の大名。豊後国(大分県)日出藩の3代藩主。日出生まれ。父は俊治,母は安藤氏。豊臣秀吉の室北政所の兄の子孫。幼名千勝,のち主計,内蔵頭。寛文1(1661)年に3万石を襲封し,右衛門大夫。人見敬山に儒学を学び,文芸,武芸に長じた。また神仏尊崇の文治政治を行い,富永池など十余りの溜池築造による農業振興を図った。さらに七島藺の栽培による七島表を特産物とした。松の造林にも努め,のち横津神社に祀られた。3年領内の農民数千人が隣領杵築藩領へ逃散したことに責任を感じ出仕を遠慮。のち幕府の調査により出仕をはばかる理由がないとのことで遠慮は解かれた。宝永4(1707)年致仕。日出で死去。

(長谷川成一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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