日本歴史地名大系 「木之下村」の解説 木之下村きのしたむら 京都府:舞鶴市池之内地区木之下村[現在地名]舞鶴市字木ノ下与保呂(よほろ)谷のほぼ中央、与保呂川左岸の山麓にあり、南方の菅坂(すがさか)峠を越えて丹波の中上林(なかかんばやし)(現綾部市)に至る重要な交通路に位置していた。慶長検地郷村帳では高一〇三五・二四石「与保呂村」に含まれ、「与保呂村之内下村」と記される。その後分離高付され、享保三年(一七一八)の領中郷村高付では「与保呂下村」高二六四・九〇二六石で「当時木之下村」と記される。枝村として常(つね)村がある。土目録では「与保呂下村之内 木之下村」とあって高は変化せず、内訳は田方二三八石余、畑方二六石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by